ノーベルはなぜノーベル賞を作った?ダイナマイトの発明者が残した遺言
ダイナマイトなどの爆薬で財を成したアルフレッド・ノーベルは、財産の約94%をノーベル賞に遺しました。有名な「死の商人」の逸話の真偽も含めて解説します。
1867年にダイナマイトの特許を取ったスウェーデンの化学者・実業家アルフレッド・ノーベル(1833–1896年)は、1895年11月、財産の約94%を物理学・化学・生理学または医学・文学・平和の各分野に毎年贈る賞のために遺すという遺言に署名しました。 なぜそう決めたのか、本当のところは誰にもわかりません。新聞が誤って彼の死亡記事を「死の商人」という見出しで載せ、それに衝撃を受けて生き方を見直した、という有名な話がありますが、歴史家はこれを確認できておらず、作り話だと考える人もいます。
スウェーデンとロシアで育つ
ノーベルは1833年10月21日、技術者で発明家のイマヌエル・ノーベルの三男としてストックホルムに生まれました。 父の事業の都合で一家はロシアのサンクトペテルブルクに移り、アルフレッドは大学には行かず家庭教師から学び、いくつもの言語を流暢に話せるようになりました。 この国際的な育ちが、ヨーロッパ中を飛び回る彼の一生を形づくります。
ニトログリセリンを手なずける
19世紀半ばのニトログリセリンは強力ですが、わずかな衝撃で爆発する危険な物質でした。研究は命がけで、1864年には工場の爆発で弟エミールが亡くなり、ノーベルはより人里離れた場所で実験を続けました。 彼はニトログリセリンを安定した物質にしみこませて安全に扱えるようにし、1867年にダイナマイトとして特許を取りました。 ダイナマイトは鉱山、トンネル、鉄道建設を一変させ、同時に軍事にも使われました。その後もゼリグナイト(1875年)やバリスタイト(1887年)を発明し、生涯で355件の特許を持ちました。
実業家として
ノーベルは発明家であると同時に実業家で、各国に工場や会社をつくり、兵器メーカーのボフォースなども経営しました。兄たちが興した石油会社ブラノーベルも一族の富を大きくしました。 生涯独身で、パリや晩年のイタリア・サンレモに暮らしました。長く交際したゾフィー・ヘスへの手紙には、今日批判される差別的な言葉も含まれており、人物像は単純ではありません。
1895年の遺言
1895年11月27日、亡くなる約1年前に、彼は最後の遺言に署名しました。 遺言は、前年に人類に最大の貢献をした人々に、五つの分野で賞を贈るよう定めていました。 親族は不満で、財団の設立には何年もかかり、最初の授賞は1901年でした。 なお経済学賞はずっと後にスウェーデン中央銀行の資金で加わったもので、厳密にはノーベルを記念する別の賞です。
ノーベルは1896年12月10日にサンレモで亡くなりました。 爆薬で富を築き兵器会社も持った人物が平和賞を作ったことは不思議に見えますが、元素「ノーベリウム」にも名を残す彼の名は、今では科学者・作家・平和のために働く人への最高の栄誉を意味しています。
パリとアメリカで学んだ青年時代
若いころのノーベルは、ロシアで化学者ニコライ・ジニンに学びました。 1850年にはパリへ行き、その3年前にニトログリセリンを合成したイタリアの化学者アスカニオ・ソブレロに会っています。 翌1851年、18歳でアメリカに渡って1年間学び、南北戦争の装甲艦モニターを設計したことで知られる技術者ジョン・エリクソンのもとで短期間働きました。 危険な液体の可能性を知った出会いと、大きな機械を設計する技術者の仕事ぶりを見た経験。この二つが、のちの発明家ノーベルの出発点になったといえるでしょう。
「起爆」という本当の発明
ダイナマイトの名ばかりが有名ですが、ノーベルの重要な仕事の一つは、爆薬を思いどおりに爆発させる仕組みでした。彼は1863年に起爆装置を発明し、1865年には雷管を設計しています。 同じ1865年から1873年まではドイツのクリュンメルに住みました。 どれほど強力な爆薬でも、安全に運び、必要なときに確実に爆発させられなければ道具になりません。この発想こそが、鉱山や工事の現場を変えたのです。一方、1887年に特許を取った無煙火薬バリスタイトをイタリアに売ったことで、1891年には住んでいたフランスで大逆罪の疑いをかけられました。
「死の商人」の話の出どころ
有名な死亡記事の話は、1888年に兄ルドヴィグが亡くなったとき、いくつかの新聞が誤ってアルフレッドの死亡記事を載せたとされることに由来します。 名前が確かめられているのはフランスの『フィガロ』紙で、1888年4月15日に記事を載せ、翌日に取り消しました。 ただし、この出来事が彼に賞をつくらせたという筋書きには異論があり、話として面白いことと歴史として確かなことは分けて考える必要があります。
文学と平和への関心
ノーベルの関心は化学だけではありませんでした。1876年に秘書として雇ったベルタ・フォン・ズットナーはすぐに辞めましたが、二人は彼が亡くなる1896年まで手紙を交わし続け、彼女はのちに1905年のノーベル平和賞を受けています。 晩年にはベアトリーチェ・チェンチを題材にした四幕の悲劇『ネメシス』を書き、死の床にあるあいだに印刷されましたが、死後ほとんどの部数が処分され、スウェーデンで出版されたのは2003年のことでした。 1884年にはスウェーデン王立科学アカデミーの会員に選ばれ、1893年にはウプサラ大学から名誉博士号を受けています。 1894年に手に入れたカールスコーガのビョルクボーン邸は、夏を過ごしたスウェーデン最後の住まいで、今は博物館になっています。
ノーベルで覚える日本語表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 名を残す | 後の世まで名前が伝わる | 彼は賞によって名を残した。 |
| 財を成す | 大きな財産を作る | 石油事業で財を成した。 |
| 心を入れ替える | 考え方や態度を改める | 失敗をきっかけに心を入れ替えた。 |
| 両刃の剣 | 役に立つが危険もあるもの | SNSは両刃の剣だ。 |
| 世のため人のため | 社会や人々の役に立つように | 世のため人のために働きたい。 |
練習問題: 自分の語学学習の「遺言」を書くつもりで、どんな習慣を残したいかを「名を残す」「世のため人のため」を使って三文で書いてみましょう。