エドヴァルド・グリーグとは何をした人?『ペール・ギュント』とノルウェー国民楽派の生涯を年表でたどる

エドヴァルド・グリーグとは何をした人?『ペール・ギュント』とノルウェー国民楽派の生涯を年表でたどる

グリーグはノルウェーの作曲家で、民族音楽に着想を得た国民楽派として注目されました。『ペール・ギュント』の付随音楽や生涯の転機を年表でたどり、英語表現の練習も一つ紹介します。

エドヴァルド・グリーグは、民族音楽から着想を得て国民楽派として注目された、ノルウェーの作曲家です。1843年6月15日にベルゲンで生まれました。1907年9月4日に、心不全のためベルゲン市内の病院で亡くなっています。代表的な仕事の一つが、イプセンから依頼された戯曲『ペール・ギュント』の付随音楽です。この記事では年表に沿って生涯をたどり、最後に表現の練習を一つ試します。

生い立ち:ベルゲンの第4子から留学へ

グリーグは5人兄弟の第4子でした。父方の曾祖父はスコットランド出身でした。一族の苗字は、本来はGreigだったとされています。これは名前の綴りにまつわる話として覚えておくと便利です。まず生い立ちを押さえておくと、後の年表が読みやすくなります。

1858年、ヴァイオリニストのオーレ・ブルに才能を見出されました。その後はライプツィヒ音楽院で学んでいます。1863年にはコペンハーゲンに移り、ニルス・ゲーゼのもとで3年間学びました。これらは、結婚する1867年より前の学びの足取りとして年表に並びます。年表に書き込むと、学びの場が複数あったことが一目で分かります。

ニーナとの結婚と『ペール・ギュント』

1867年、従妹でソプラノ歌手のニーナ・ハーゲルップと結婚しました。後の歌曲はほとんどニーナのために作曲されました。結婚と作曲が結びついた点は、年表の中でも覚えやすい事実です。歌曲を聴くときは、ニーナのために書かれたという背景を思い出してみてください。

1874年、イプセンから戯曲『ペール・ギュント』の付随音楽の作曲を依頼されました。『ペール・ギュント』は1876年2月24日にクリスチャニア劇場で初演されました。この初演は大喝采を受けました。依頼の1874年から初演の1876年までは、年表の上で2年の間があります。劇と音楽がどう結びついていたかは、次の段落で「朝」を例に見ます。

「朝」は、ペール・ギュントがモロッコで大儲けの話をする場面の前奏曲として使われています。つまり、この曲は単独の名曲である前に、劇の特定の場面と結びついた音楽でした。冒頭の旋律を聴いたら、どの場面の前奏曲なのかを自分の言葉で書き留めてみましょう。場面と曲名を組み合わせて覚えるのは、一つの工夫として試せます。

ピアニストとして、住家と録音

1884年、ベルゲン近郊のトロールハウゲンに住家を建てました。ベルゲンは生まれた町であり、その近郊に家を構えたことになります。地図で二つの位置関係を確かめ、その場所を選んだ理由を資料から探してみるのも一つの課題です。ただし理由はこの記事の資料には載っていないので、ここでは断定しません。

生前は卓越したテクニックのピアニストとして知られていました。自作を携えて、ヨーロッパを演奏旅行しています。1903年にはパリでグラモフォン社に自作を録音しました。作曲家が自分の曲を弾き、演奏旅行で届け、録音にも残したという流れが年表から見えてきます。

ピアノ協奏曲は、40年間に300回以上の改訂を行ったとされます。「完成」とは何かを考える手がかりとして、この事実から自分の考えを書いてみるのも練習になります。ピアノ曲の多さから、「北欧のショパン」と呼ばれることもあります。この呼び名の根拠として、どんな作品の特徴が挙がるのかを書き出して考えてみましょう。

抗議、交友、そして晩年

1899年、ドレフュス事件への抗議として、フランスでの演奏会を取り消しました。演奏旅行で知られた音楽家が、予定された演奏会を取り消して抗議の姿勢を示した出来事です。当時の状況は別の資料で調べ、自分の言葉でまとめてみてください。この記事の資料で確認できるのは、取り消しの事実までです。

ケンブリッジ大学(1894年)とオックスフォード大学(1906年)から名誉博士号を受けました。1906年にはロンドンでパーシー・グレインジャーと出会い、強い共感を築いています。同じ1906年に、名誉博士号と出会いの二つが年表に並びます。年表に地名も書き添えると、活動の範囲が見えてきます。

1901年に健康状態が悪化し、『抒情小曲集』第10集を出版しました。1907年9月4日、心不全のためベルゲン市内の病院で亡くなり、満64歳でした。生まれた町ベルゲンで生涯を終えたことも、年表から読み取れます。年表を作るなら、1843年と1907年を両端に置いてみましょう。

後世に残る名前

旧500クローネ紙幣に肖像が描かれていました。小惑星(4872) Griegは、グリーグにちなんで命名されました。紙幣の肖像と天体の名前という二つの形で、名前が残っています。ただし、どちらも生涯の業績そのものではなく、後世の扱いの記録です。

ピアノ協奏曲イ短調は、「悲劇」を思わせるBGMとして広く使われています。曲名を知らなくても、BGMとして耳にした経験がある人もいるでしょう。それはグリーグという名前を、聴いた曲と結びつける入口になります。自分が知っている使われ方を書き出して、作品名と並べてみてください。

練習問題:年表の一行を英語で書く

問題です。年表から出来事を一つ選び、「いつ・どこで・何が起きたか」を英語で一文にしてみましょう。条件は、主語、過去形の動詞、年の三つを入れることです。以下の例文は、この記事の事実をもとに作った学習用の文で、グリーグ本人の発言ではありません。まず自分で書いてから例を見ると、比べやすくなります。

例1は Grieg was born in Bergen in 1843. です。「生まれた」を表す be born は受け身の形で、場所には in Bergen、年には in 1843 を添えます。この内容は、1843年6月15日にベルゲンで生まれたという事実に対応しています。例2は Peer Gynt was first performed in Christiania in 1876. です。こちらも was performed という受け身で、1876年にクリスチャニア劇場で初演されたという事実に対応します。

書けたら、次の課題に進んでみましょう。年表を作って出来事を年代順に並べ直し、生涯の転機を三つ選んでみてください。さらに生涯を三百字程度で要約し、出典となる情報を一つずつ付記するところまで試すと、事実と自分の解釈を分けて書く練習になります。これはあくまで提案であり、特定の効果を保証するものではありません。

エドヴァルド・グリーグで外国語を学ぶ

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