ゴッホの『星月夜』はどこで描かれたのか?療養院の窓から見た夜明け前の空
『星月夜』は1889年6月、南仏サン=レミの療養院で描かれました。窓からの眺め、想像の村、明けの明星など、名画の意外な事実を紹介します。
ゴッホの『星月夜』は、1889年6月18日ごろ、南フランスのサン=レミ=ド=プロヴァンスにあるサン=ポール=ド=モーゾール療養院で描かれました。 描かれているのは、東向きの寝室の窓から見た夜明け前の空です。ただし、絵の中の村は窓からは見えず、別の場所で描いたスケッチをもとにした「想像の村」でした。 つまりこの名画は、目の前の景色と記憶、そして想像を組み合わせた一枚なのです。
療養院に入るまで
フィンセント・ファン・ゴッホは1853年3月30日、オランダ南部のフロート・ズンデルトで牧師の家に生まれました。 画商の店員や伝道師などを経て、本格的に絵を描き始めたのは1881年ごろ、20代後半になってからです。
1888年に南仏アルルへ移り、「黄色い家」で画家仲間との共同生活を夢見ました。しかし同年12月23日、ゴーギャンとの口論のあと、自分の左耳をかみそりで切り落とす事件を起こします。 ゴーギャンを迎える準備として、ゴッホは1週間で4枚の『ひまわり』を描き、テオに「大きなひまわりばかり描いている」と書き送っていました。 病院の診断は「全般的な錯乱を伴う急性躁病」で、その後も発作は繰り返されました。原因については双極性障害、側頭葉てんかん、急性間欠性ポルフィリン症など、今もさまざまな説があります。 その後、1889年5月8日に彼はサン=レミの療養院に入りました。
窓から見た「明けの明星」
療養院に入って間もない5月23日、ゴッホは弟テオへの手紙に、鉄格子の窓から囲われた麦畑が見え、毎朝その上に日が昇ると書いています。 6月初めの手紙では、日の出前に「とても大きく見える明けの明星」を見たとも記しました。
『星月夜』で糸杉のすぐ右に輝くひときわ明るい星は、この明けの明星、つまり金星だと考えられています。1889年の春、金星は夜明け前の空に見えていました。
夜ではなく、昼間に描かれた
意外なことに、この絵は夜に外で描かれたわけではありません。ゴッホは昼間、療養院の1階にあったアトリエで制作しました。そのため「記憶だけで描いた絵」と言い切るのも正確ではないとされています。 手前の糸杉も、実際より大きく、画面の手前に引き寄せて描かれています。
絵の具と、オランダ風の教会
ゴッホは療養院の窓からの眺めを何度も描きました。その数は21回にのぼるともいわれ、『星月夜』はその中で唯一の夜景です。 顔料の分析によると、空にはウルトラマリンとコバルトブルーが使われ、星と月にはインディアンイエローと亜鉛黄が組み合わされていました。 村の教会の尖塔については、研究者ピックヴァンスが「プロヴァンスというよりオランダ風」だと述べており、故郷ヌエネン時代の作品とのつながりが指摘されています。 地中海の国々では糸杉は死の木とされる一方、ゴッホの手紙からは、彼が主に形の面白さに引かれていたこともうかがえます。 星空そのものは、前年の1888年9月にアルルで描いた『ローヌ川の星月夜』でもすでに取り上げていました。
本人は「失敗作」と呼んだ
今では世界で最も有名な絵の一つですが、ゴッホ自身の評価は厳しいものでした。1889年11月下旬、画家エミール・ベルナールへの手紙で、彼はこの絵を「失敗」と呼んでいます。 テオに送る作品リストにも「夜の習作」として挙げながら、結局は手元に残していました。
浮世絵が変えた色彩
『星月夜』のうねるような空と鮮やかな色は、突然生まれたものではありません。オランダ時代のゴッホの絵は、代表作『ジャガイモを食べる人々』(1885年)に見られるように、茶色や暗い緑が中心でした。弟テオは、その絵が当時の明るい印象派の流行には暗すぎると感じていました。
転機は1886年3月のパリ移住です。ゴッホはそこでエミール・ベルナールやゴーギャンら前衛の画家たちと出会い、さらに数百枚もの日本の木版画、つまり浮世絵を集めました。 平面的な構図、はっきりした輪郭、大胆な色づかい。日本の版画から受けた刺激によって、彼のパレットは一気に明るくなりました。日本の読者にとっては、『星月夜』の背景に浮世絵の影響が流れていると考えると、少し身近に感じられるかもしれません。
テオへの手紙が教えてくれること
『星月夜』がどのように生まれたのかを私たちが細かく知ることができるのは、ゴッホが弟テオに宛てた膨大な手紙のおかげです。1872年から1890年までに、フィンセントからテオへの手紙は600通以上残っています。 テオは画商として働きながら、生涯にわたって兄を経済的に支え続けました。
この手紙を編集し、その多くを1914年に出版したのは、テオの妻ヨハンナ(ヨー)でした。 手紙を読むと、ゴッホが色や構図について驚くほど論理的に考えていたことがわかります。「狂気の画家」というイメージだけでは、彼の作品は理解できないのです。
その後のゴッホと『星月夜』
1890年5月、ゴッホはパリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズへ移り、約70日間で70点ほどの油彩を描きました。同年7月27日に自らの胸を銃で撃ち、2日後の7月29日、37歳で亡くなりました。 生涯に残した作品は約2,100点、そのうち油彩は約860点で、ほとんどが最後の2年間に描かれたものです。
ゴッホの死後、絵はテオの妻ヨーの手で1900年に詩人ジュリアン・ルクレールに売られ、1906年から1938年まではロッテルダムのファン・ストルク家が持っていました。 『星月夜』は1941年からニューヨーク近代美術館(MoMA)に所蔵されています。大きさは縦73.7センチ、横92.1センチと、意外に小ぶりです。
ゴッホで学ぶ日本語の表現
| 表現 | 読み方 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|---|
| 夜明け前 | よあけまえ | 太陽が昇る前の時間 | 夜明け前の空はとても静かだ。 |
| 思い浮かべる | おもいうかべる | 心の中に姿を描く | 故郷の景色を思い浮かべる。 |
| 手元に残す | てもとにのこす | 人に渡さず自分で持っておく | 気に入った絵を手元に残した。 |
| 意外に | いがいに | 予想と違って | この絵は意外に小さい。 |
| ○○と考えられている | ○○とかんがえられている | 多くの人がそう判断している | あの星は金星だと考えられている。 |
練習: 今朝、窓から見えた景色を日本語で3文で書いてみましょう。「○○が見える」「○○のように」を使ってみてください。