日本ではなぜ年末に「第九」を演奏するのか?ベートーヴェン最後の交響曲がたどった道
日本では年末にベートーヴェンの第九が各地で演奏されます。第一次大戦中の捕虜収容所での紹介から、耳の病と闘った作曲家の物語までを解説します。
日本では、ベートーヴェンの交響曲第9番、いわゆる「第九」が年末の風物詩として全国で演奏されます。英語版ウィキペディアも、第九は日本各地で伝統的に年末に演奏され、なかには最大1万人規模の大合唱で歌われる公演もあると紹介しています。 この曲が日本に伝わったきっかけは、第一次世界大戦中、板東俘虜収容所にいたドイツ人捕虜たちによる演奏だったとされています。 なぜ「年末」なのかについては諸説ありますが、一年の終わりに大勢で「歓喜の歌」を歌う体験そのものが、日本の師走にしっかり根づいたと言えるでしょう。
第九とはどんな曲か
第九は1822年から1824年にかけて作曲されました。もともとは1817年、ロンドンのフィルハーモニック協会からの依頼がきっかけでした。 最大の特徴は、交響曲に初めて本格的に合唱と独唱を取り入れたことです。最終楽章の歌詞は、フリードリヒ・シラーの詩「歓喜に寄す」を中心に、ベートーヴェン自身が言葉を加えたものです。
演奏時間は65分から70分ほどで、最終楽章だけで約25分あります。 当時の交響曲としては、驚くほどの大作でした。初演の日には、序曲『献堂式』や『ミサ・ソレムニス』の一部もあわせて演奏され、ソプラノのヘンリエッテ・ゾンタークら4人の独唱者が舞台に立ちました。 長い交響曲の最後に合唱が加わる構成は、聴衆にとってまったく新しい体験だったはずです。
耳が聞こえにくい中で書かれた
この曲を書いたとき、ベートーヴェンの耳はほとんど聞こえなくなっていました。本人の話では難聴は1798年ごろに始まり、1818年ごろには来客が筆談用のノート、いわゆる「会話帳」に言葉を書いて会話するほど悪化していました。 ただし、完全に聞こえなくなったわけではなく、低い音や突然の大きな音は感じ取れたと伝えられています。
1802年には、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットで、弟たちに宛てた手紙を書いています。難聴のために死を考えたこと、それでも芸術のために生きると決めたことがつづられたこの手紙は送られることなく、死後に遺品の中から見つかりました。
1824年5月7日の初演
第九は1824年5月7日、ウィーンのケルントナートーア劇場で初演されました。正式な指揮者はミヒャエル・ウムラウフで、ベートーヴェンも舞台に立ちました。
演奏が終わったとき、アルト歌手カロリーネ・ウンガーがベートーヴェンを客席の方へ振り向かせ、聞こえない拍手を見せたという有名な逸話があります。ただしこれは一つの伝聞にもとづく話で、確かな記録とは言えません。 一方、公演の費用がかさみ、ベートーヴェン自身の収入はわずかだったことは確かです。
日本の年末に根づくまで
日本での広がりをもう少し具体的に見てみましょう。NHK交響楽団は1925年から第九を演奏するようになり、年末の演奏が一般に広まったのは1960年代のことです。 2009年12月には、日本全国で55回もの第九の公演が開かれました。 捕虜収容所で伝えられた一曲が、半世紀ほどで師走の定番になったのです。
世界をめぐった第九
日本に来る前から、第九は各地で新しい形で演奏されてきました。ロンドンでの初演は1825年3月21日で、合唱はイタリア語で歌われ、1846年5月20日のアメリカ初演では初めて英語で歌われました。 1989年のクリスマスには、ベルリンの壁の崩壊を祝って、バーンスタインが歌詞の「フロイデ(歓喜)」を「フライハイト(自由)」に替えて指揮しています。 CDの収録時間74分は第九が入るように決められたという有名な話がありますが、フィリップスの技術者は、1951年のフルトヴェングラーの演奏はソニーとの綱引きの末の口実に使われたと語っています。
ヨーロッパの歌になった「歓喜の歌」
第九は日本だけでなく、ヨーロッパでも特別な曲です。1972年、欧州評議会は最終楽章の旋律を歌詞なしで「欧州の歌」として採用し、1985年には欧州共同体(現在のEU)も採用しました。 さらに2001年には、ベートーヴェンの自筆譜が楽譜として初めてユネスコ「世界の記憶」に登録されています。
ベートーヴェンという人
ベートーヴェンは1770年12月17日にボンで洗礼を受けました。1792年11月にウィーンへ移り、ハイドンに師事します。 晩年は甥カールの後見をめぐる争いなど苦労も多く、1827年3月26日、56歳でウィーンで亡くなりました。葬列には推定1万人が集まったといいます。
少年時代も決して恵まれてはいませんでした。最初の音楽教師は父ヨハンでしたが、父は慢性的な飲酒のため、1789年に宮廷の職を退かざるをえなくなります。 ボンで最も大切な師となったのは、1780年ごろから教えを受けたクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェでした。
難聴が進んでからも、創作の勢いは衰えませんでした。交響曲第3番は、もともと「ボナパルト」と題されていましたが、1804年にナポレオンが皇帝に即位すると、ベートーヴェンはその名を消してしまいます。この曲は1806年に「ある英雄の思い出のために」出版されました。
筆談に使われた会話帳は、1819年から1827年までの136冊がベルリン国立図書館に残っています。 音楽の話から金銭、家族のことまで書かれた貴重な資料ですが、秘書で伝記作家のシンドラーが後から偽の書き込みを加えていたこともわかっており、研究者は慎重に読み解いています。 晩年の弦楽四重奏曲の中では、第14番を自分の最も完璧な作品だと考えていたそうです。
耳の病、家族の問題、経済的な不安。それでも書き続けた作曲家の最後の交響曲が、遠く離れた日本で一年を締めくくる歌になったのは、不思議な縁かもしれません。
ベートーヴェンで学ぶ日本語の表現
| 表現 | 読み方 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|---|
| 年末 | ねんまつ | 一年の終わり | 年末は第九を聴きに行きます。 |
| 風物詩 | ふうぶつし | その季節らしさを感じさせるもの | 第九は日本の年末の風物詩だ。 |
| あきらめずに | あきらめずに | 途中でやめないで | あきらめずに練習を続けた。 |
| 耳が遠い | みみがとおい | 音が聞こえにくい | 祖父は少し耳が遠い。 |
| 一年を締めくくる | いちねんをしめくくる | 一年を終わらせる | 歌で一年を締めくくる。 |
練習: 「今年、あきらめずに続けたこと」を日本語で2文書いてみましょう。最後に「来年も○○たいです。」という文を1つ加えてください。