グルックとは何をした人?「オペラの改革者」と呼ばれる理由を年表でたどる

クリストフ・ヴィリバルト・グルックは、ドイツ生まれでオーストリアとフランスで活躍したオペラ作曲家。「オペラの改革者」と呼ばれる歩みを年表で整理し、日本語の練習問題も添えます。

グルックは「オペラの改革者」と呼ばれた作曲家

クリストフ・ヴィリバルト・グルックは、ドイツに生まれ、オーストリアとフランスで活躍したオペラ作曲家です。西洋音楽史では「オペラの改革者」として名を残しています。完成されたオペラは35曲ほどあるとされます。この記事では、その改革に至る道のりを年表に沿って追います。

生年は1714年7月2日、没年は1787年11月15日とされます。年表の注記によると、生年は1785年の公式文書に基づいています。父は林務官で、少年時代は父とともにボヘミア各地を転々としたと考えられています。「考えられている」という書き方なので、断定せずに読むのがよさそうです。

各地の劇場をめぐった1740年代から50年代

1741年にミラノで『アルタセルセ』を上演しました。初期は保守的なイタリア語オペラ・セリアを書いたとされます。つまり、出発点はのちの「改革者」の姿とは違っていました。この出発点を覚えておくと、後の変化が見えやすくなります。

1746年にロンドンで『巨人の没落』を上演しましたが、イギリスではあまり成功しませんでした。1748年にはウィーンで『セミラーミデ』を上演し、大成功しています。同じ作曲家でも、上演した都市によって結果が分かれたことが年表から分かります。ここでは、成功と不成功が並んでいる点に注目してください。

1750年に裕福なウィーンの銀行家の娘と結婚し、経済的に自立してウィーンに定住しました。七年戦争中は予算の関係でイタリアオペラがあまり上演できず、グルックはフランスのオペラ・コミックに集中しました。1756年にはローマ教皇から黄金拍車勲章を授与され、以後「騎士グルック」の称号を用いました。定住と称号が、この時期の大きな節目です。

改革の手がかり:『オルフェオ』から『オーリード』へ

1762年に『オルフェオとエウリディーチェ』を作曲し、これが代表作となりました。『アルチェステ』では、レチタティーヴォをすべて劇的に構成されたレチタティーヴォ・アッコンパニャートにする考えが示されました。レチタティーヴォは、ここでは用語として押さえておけば十分です。改革の中身を「レチタティーヴォの扱い」という視点で見られるのが、この資料の手がかりです。

グルックは、ラシーヌの悲劇をもとにしたデュ・ルーレのリブレットを用い、『オーリードのイフィジェニー』を作曲しました。ここで注目したいのは、題材が悲劇に基づいていることです。台本、作曲家、原作の関係は、ノートに矢印で整理すると混乱しません。次の章のパリ上演は、この作品を軸に動いていきます。

パリでの成功と挫折

1773年11月にパリへ移り、フランスオペラの伝統とイタリアオペラを融合させようとしました。1774年4月19日には『オーリードのイフィジェニー』がパリで初演されました。移住から初演までは半年に満たず、年表の上では近い位置に並んでいます。

年表では1779年に『トーリードのイフィジェニー』が大成功したとされます。この作品は、彼の最高傑作とみなされることも多いとされています。一方で『エコーとナルシス』は聴衆に理解されず、グルックはパリを去ってウィーンに戻りました。同じ時期に、大成功と不評の両方があったことになります。

ここまでの活動地をまとめると、ミラノ、ロンドン、ウィーン、パリと広がっています。各地の結果は、成功したものも、うまくいかなかったものもありました。順風満帆ではなかった点が、年表で読むと見えてきます。地図に都市を書き込みながら読み返すと、移動の流れがつかみやすくなります。

晩年と後世への影響

グルックは1787年にウィーンで没し、ウィーン中央墓地に埋葬されました。彼の死後、後任として親交のあったモーツァルトが任命されました。人物同士のつながりが分かる、貴重な一文です。

ベルリオーズはグルックの心酔者であり、重要な影響を受けたとされます。グルックの劇的な作曲様式は、ワーグナーの楽劇の先駆と看做されています。後者は評価に属する見方なので、事実と区別して読むのがよいでしょう。

ドイツ語オペラは書いていませんが、クロプシュトックの詩による讃歌と歌曲は存在します。ドイツに生まれながら、活躍の場の中心はオーストリアとフランスでした。言語と活動地を並べて考えると、人物像がより立体的になります。

日本語で書いてみる練習問題

練習問題です。年表から出来事を一つ選び、「いつ・どこで・何があったか」を日本語の一文で書いてみてください。主語や時を表す言葉の置き方を確かめるのが目的です。下の例は、この記事で確認した事実をもとに私たちが作った練習用の文で、グルック本人の発言ではありません。

  • 例文:1748年にウィーンで『セミラーミデ』が上演され、大成功しました。
  • 解説:「年」「場所」「作品名」「結果」の順に並べると、年表の一行を文にしやすくなります。

アプリでは、人物を選ぶとその人物の順でレベル別のコースが作られると説明されています。人物との会話はAIによる再現であり、実際の発言ではないと明記されています。試してみる場合は、進み方を一週間ノートに記録し、実際の発言と区別しながら振り返ってみてください。

クリストフ・ヴィリバルト・グルックで外国語を学ぶ

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