「印象派」という名前の由来は?モネの『印象・日の出』と批評家の皮肉
1874年、モネの『印象・日の出』を批評家ルロワが皮肉って「印象派の展覧会」と書いたのが始まりです。悪口が美術運動の名前になるまでと、モネの生涯を解説。
「印象派」という名前は、もともと悪口でした。1874年4月、パリの写真家ナダールのもとで開かれた独立系の画家たちの展覧会に、クロード・モネはル・アーヴルの港の夜明けを描いた『印象・日の出』を出品しました。批評家ルイ・ルロワは風刺新聞『ル・シャリヴァリ』に「印象派の展覧会」と題した記事を書き、「描きかけの壁紙のほうが、この海景画よりまだ仕上がっている」とからかったのです。 未完成だと馬鹿にするための言葉が、そのまま美術史上もっとも愛される運動の名前になりました。
タイトルは「印象、とでも」
この作品の題名をつけたのはモネ本人です。カタログ用の題名を求められたとき、「『印象』としておいてくれ」と答えたと後に語っています。美術史家ポール・スミスは、この言葉が「未完成だ」という批判をかわす役目も果たしたのではないかと指摘しています。
さらに2014年、天文学者ドナルド・オルソンらは太陽の位置や潮の満ち引き、当時の気象記録、煙のたなびく方向を分析し、モネがこの景色を描いたのは1872年11月13日の朝7時35分ごろだと結論づけました。 一枚の絵に、ほぼ正確な「撮影時刻」があるというわけです。作品は現在パリのマルモッタン・モネ美術館にあり、1985年に盗まれ、1990年に取り戻されています。
風刺画で稼いだ少年時代
オスカー=クロード・モネは1840年11月14日にパリで生まれ、1845年からノルマンディーの港町ル・アーヴルで育ちました。父は家業の船具・食料品店を継がせたがりましたが、歌手だった母は絵の道を応援しました。十代のころには似顔絵や風刺画を描いてお金を稼いでいます。
転機は風景画家ウジェーヌ・ブーダンとの出会いでした。ブーダンはモネに、アトリエではなく屋外で、目の前の光をそのまま描く「戸外制作」を教えました。モネは生涯ブーダンを師と仰いでいます。
仲間たちと貧しい日々
パリではアカデミー・シュイスでピサロと知り合い、グレールの画塾ではルノワールやバジールと友人になりました。 1867年、恋人カミーユとのあいだに長男ジャンが生まれると、父は仕送りを打ち切ります。二人は1870年に結婚し、普仏戦争のあいだはロンドンとオランダで過ごしました。ロンドンではターナーやコンスタブルの絵を学び、のちに印象派を支える画商デュラン=リュエルと出会っています。
兵役、病気、そして叔母の助け
若いモネの道のりは順調ではありませんでした。1861年に兵役に召集され、騎兵連隊の一員としてアルジェリアに渡りましたが、翌年に腸チフスにかかります。そこで叔母が費用を払い、兵役を解いてもらったのです。 母を早くに亡くしたモネにとって、この叔母はのちの画家人生も支えてくれる大切な存在でした。
妻カミーユの死と「喜びであり苦しみ」
1874年の展覧会のあとも生活は苦しく、妻カミーユは重い病に倒れます。1878年に次男ミシェルが生まれた後、カミーユは病と診断され、1879年に亡くなりました。モネは臨終の妻の顔を描き、のちに友人クレマンソーに、気づけば彼女の顔の色合いを分析していた、それは「喜びであり苦しみでもあった」と打ち明けています。 光と色を見つめずにはいられない画家の、痛ましいほどの本能がうかがえる言葉です。
その後モネは、アリス・オシュデとそれぞれの子どもたちとともにジヴェルニーの借家に移り、1890年にその家を買い取り、1892年にアリスと結婚しました。
「印象派」を嫌がったモネ
皮肉なことに、名付け親のルロワも、のちにこの仲間の「大半は少しも印象派的ではなかった」と述べています。そしてモネ自身も、1906年の手紙で「印象派」という呼び名は「たいした意味もなく、人々にばかげたことをたくさん言わせてきた」と書いています。 レッテルは、貼られた本人にとって窮屈なものだったのかもしれません。
連作、そしてジヴェルニーの睡蓮
ジヴェルニーは生涯の住まいとなり、庭と水の庭園はおよそ40年にわたって最大の着想源になりました。1890年代には、同じ対象を何度も描いて時間や季節による光の変化をとらえる「連作」に取り組み、『積みわら』『ポプラ並木』『ルーアン大聖堂』を生み出します。
その到達点が『睡蓮』です。自宅の庭の池を描いた油彩はおよそ250点にのぼり、人生最後の31年間の中心的な仕事となりました。その多くは白内障を患いながら描かれています。 モネは1926年12月5日に86歳で亡くなり、翌1927年5月16日、パリのオランジュリー美術館に大装飾画『睡蓮』8点を常設する楕円形の2つの展示室が開館しました。
2008年には、ロンドンのクリスティーズで『睡蓮の池』が予想のほぼ2倍、約4,100万ポンドで落札されました。 かつて「描きかけの壁紙」と笑われた画家の絵は、今や世界で最も求められる作品の一つです。
モネで学ぶ日本語表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 第一印象 | 最初に受けた感じ | その町の第一印象は灰色だった。 |
| 名付け親 | 名前をつけた人 | ルロワは印象派の名付け親だ。 |
| 皮肉にも | 予想と逆の結果になって | 皮肉にも、悪口が運動の名前になった。 |
| 移ろい | 少しずつ変わっていくこと | モネは光の移ろいを描いた。 |
| レッテルを貼る | 一方的に決めつける | 人にレッテルを貼るのはよくない。 |
練習しよう: 朝と夕方、同じ窓から外を見て、光の色の違いを日本語で2文ずつ書いてみましょう。「移ろい」を一度は使ってください。