フランシスコ・デ・ミランダとは何をした人?ボリバルの先駆者となったベネズエラ革命家の生涯
フランシスコ・デ・ミランダはベネズエラの革命家で、シモン・ボリバルの先駆者とも見做される人物です。1750年の誕生から1816年の死去までを年表でたどり、練習課題も紹介します。
フランシスコ・デ・ミランダは、ベネズエラの革命家で、シモン・ボリバルの先駆者とも見做されている人物です。 英語版では「First Universal Venezuelan」と称され、スペイン帝国からの南米の解放の先駆者とされています。 この記事では、その生涯を年表の順に整理します。
生没年と軍人としての出発
ミランダは1750年3月28日に生まれ、1816年7月14日に死去しました。 1771年にはスペイン帝国陸軍に入隊しています。
1782年のバハマ占領に参戦しましたが、ガルベスの許可なく侵攻したとして捕えられました。 1783年に解放されると米国へ戻り、ワシントンやジェファーソンらと遭遇しています。
欧州での歩みとフランス革命
ミランダは1785年8月9日に英国に着いた後、イタリアの各都市を周遊しました。 1791年からはフランス革命に参加します。
ただ、その道は平坦ではありませんでした。1793年4月に捕えられ、同年6月に再逮捕されてラ・フォース刑務所に拘置されています。 1798年1月にはフランス革命に失望してドーバーへ去り、その後ロンドンに移住しました。
フランス革命に参加した縁で、ミランダはアメリカ大陸出身者として唯一、エトワール凱旋門にその名が刻まれています。
独立の構想と1806年の遠征
ミランダは、スペイン等の植民地全てを合わせて一つの帝国として独立させる構想を描き、国号をコロンビアとする計画でした。 1806年には米国からの志願者とともにベネズエラ解放の遠征を行いましたが、成功しませんでした。
第一共和国の成立と挫折
1810年4月19日、ミランダはシモン・ボリバルらとともにベネズエラ第一共和国の成立に関わりました。 しかし1812年3月26日にカラカス地震が起き、共和国側の地域が大きな打撃を受けました。
同年7月25日、ミランダはスペイン王国側と休戦協定を結びました。英国の船で国外脱出を図りましたが、最終的にスペイン王国軍に捕えられています。
最期とその後の記憶
ミランダは裁判の途中、スペインのサン・フェルナンドで死去しました。埋葬場所は不明のため、ベネズエラ国家神殿には空の墓が造られています。
評価の面では、ボリバルの副官ダニエル・フローレンス・オレリーが、ミランダを18世紀にアメリカ大陸への意識と関心を持たせた天才だと述べたとされています。 「とされる」という書き方の通り、これは伝えられている評であり、断定できる事実とは区別して読むのが安全です。
名前は現在も使われています。2000年から2007年まで発行されたベネズエラの旧5000ボリバル紙幣には、ミランダの肖像が使われました。 2012年9月29日には、ベネズエラが中華人民共和国の協力で小型地球観測衛星フランシスコ・デ・ミランダ(VRSS-1)を打ち上げました。
練習問題:年表を自分の言葉にしてみよう
ここからは、確認できた事実を素材にした練習です。ミランダの実際の発言ではありません。
- 問題:1810年と1812年の出来事を、日本語で一文ずつ書いてください。
- 例:1810年、ミランダはボリバルらとともにベネズエラ第一共和国の成立に関わった。1812年には地震の後に休戦協定を結び、その後スペイン王国軍に捕えられた。
- 解説:一文に事実を一つだけ入れると、出来事の順序と原因の推測を混ぜずに書けます。「先駆者」「共和国」「休戦協定」といった語も、例文を作ると定着しやすくなります。
余裕があれば、「とされる」と書かれた部分を抜き出し、断定できる事実と分けて書き留めてみてください。自分の言葉で3文に要約してから、この記事と照らし合わせる方法もおすすめです。