ジョルジュ・スーラとは何をした人?点描で光を描いた新印象派の画家を年表でたどる
ジョルジュ・スーラは新印象派に分類される19世紀フランスの画家です。点描にたどりついた経緯、二つの大作、「新印象派」の名の由来、31歳での死までを年表でたどり、練習問題も付けました。
ジョルジュ・スーラは、新印象派に分類される19世紀フランスの画家です。印象派の筆触分割を押し進め、光学的理論を取り入れて点描にたどりつきました。1859年、パリの裕福な中産階級の家庭に生まれています。1891年3月29日、パリの両親の家で31歳で死去しました。この記事では、その生涯を年表の順にたどり、最後に表現の練習問題を一つ用意しました。
古典の学びから素描の入選まで
1878年にエコール・デ・ボザールに入学し、古典的な学習を積みました。翌1879年には、兵役のため美術学校を離れています。入学と兵役が一年違いで並ぶので、年表では学校での期間が短く区切られて見えます。のちに点描という独自の方法へ進む画家が、まず古典的な教育から出発した点は押さえておきたいところです。
1883年、サロンに素描が1点入選しました。入選したのが油彩ではなく素描だったことは、見落としやすい点です。スーラは完成作までに多数の素描や下絵を制作し、入念に構想を練りました。素描が公の場で認められた事実と、下絵を重ねる制作の姿勢を、並べて読んでみてください。
点描とは何か:色の点が目の中で混ざる
スーラは印象派の筆触分割を押し進め、光学的理論を取り入れて点描にたどりつきました。小さな色の点を並べることで、観る者の目の中で色が視覚的に混ざるように描いています。ここでは、色が混ざる場所が画面の上ではなく目の中にある、という点に注目してください。点描の核心は、この「並べる」と「混ざる」の関係にあります。
補色を近くに置くことで、目に加法混色と認識させ、よりリアルな光を再現しました。ここでも狙いは、絵の具の色そのものよりも、目に届く光の印象にありました。点と点の置き方に理屈がある、というのがスーラの絵を読むときの手がかりになります。
写実的な絵は、同時代に開発されたカメラの存在もあり、様々な批判を受けたといわれています。ただし、この批判がスーラ個人に向けられたものだったかどうかは、手元の資料には書かれていません。点描との結びつきは、読者が自分で考える課題として残しておきます。賛否の立場を書き分けてみると、論点が整理しやすくなります。
二つの大作:『アニエールの水浴』と『グランド・ジャット島』
最初の大作『アニエールの水浴』は1884年に完成しました。しかしサロンには落選し、アンデパンダン展に出品されています。この作品のための「クロクトン」(油彩下絵)は13点が残されています。一枚の大作に十数点の油彩下絵があるという数字は、先に見た入念な構想の具体例として読めます。
『グランド・ジャット島の日曜日の午後』は1884年に制作を始め、1886年の第8回印象派展に出品されて話題となりました。完成までには約2年かかり、横幅は約3.0メートルです。年表では、同じ1884年に前作の完成と次作の着手が重なっています。落選した年から、話題になった展覧会までは二年ほどです。この短い間隔にも注目してください。
「新印象派」という名前はどこから来たか
「新印象派」という名称は、批評家フェリックス・フェネオンが1886年の雑誌記事で最初に使いました。1886年は、『グランド・ジャット島の日曜日の午後』が第8回印象派展に出品された年でもあります。名称の登場と大作の発表が同じ年に並ぶ、というのが年表から読める事実です。ただし、両者の間に因果関係があったかどうかは、資料からは言えません。
スーラは新印象派に分類される画家と説明されます。この名称の前に「印象派」があることは、言葉そのものから読み取れます。印象派の筆触分割を押し進めたという説明とも、その点でつながっています。分類名を知っておくと、外国語の資料にあたるときも、誰がどの流れの画家なのかをつかみやすくなります。
短い生涯に残された作品と最期
短い生涯の間に残された比較的大きな作品は6点です。一方で、油彩約60点、クロクトン約170点、素描約230点が残っています。大作が少ないのに対し、下絵と素描の数は多い、という対比が数字から見えてきます。作品数の違いを表にまとめて確かめるのも、よい読み方です。
1890年2月16日、息子ピエール=ジョルジュが生まれました。1891年3月29日、パリの両親の家で31歳で亡くなっています。死因ははっきりせず、髄膜炎、肺炎、感染性狭心症、ジフテリアなどが考えられています。代表作『サーカス』は未完のまま、死去の時点で残されました。未完である理由について、本記事の資料は説明していません。
スーラは寡黙で内省的な性格であったと言われ、私生活について他人に語ることはほとんどなかったといいます。資料には、強い感受性と数学的とも言える精密さという、相反しやすい資質が一人の画家の中で結びついていた、という見方も示されています。これは事実の記録ではなく解釈なので、作品を見て自分で確かめる材料として扱ってください。本人があまり語らなかったと言われる以上、作品や下絵の数を見ることが理解の入口になります。
練習問題:「〜ことで、〜ように」で点描を説明する
以下は、確認できた事実を素材に作った練習問題であり、スーラ本人の発言ではありません。問題は、「小さな色の点を並べる」と「観る者の目の中で色が混ざる」という二つの内容を、「〜ことで、〜ように」の形で一文にまとめることです。まず自分で書いてから、次の例を見てください。
例答は「小さな色の点を並べることで、観る者の目の中で色が視覚的に混ざるように描いた。」です。解説すると、「〜ことで」は方法を、「〜ように」は狙った結果を示します。方法と結果を一文に収めると、点描の仕組みが短く伝わります。補色の話も、同じ型で書き換えてみましょう。
記録課題として、本文の年表を自分の言葉で8行にまとめて書き出してみてください。1859年、1878年、1883年、1884年、1886年、1890年、1891年といった年を軸にすると整理しやすくなります。余裕があれば、絵の具の点を並べた小さな練習画を描いて、点描の説明が実感できるかを確かめてみるのもよいでしょう。