メンデルはエンドウ豆で何を発見した?修道院の庭から生まれた遺伝の法則
メンデルは修道院の庭で約2万8千株の植物を育て、形質が3対1の比で現れることを見つけました。その発見がなぜ35年も無視され、どう再発見されたのかを解説します。
グレゴール・メンデルがエンドウ豆の実験で発見したのは、親の特徴が混ざり合って薄まるのではなく、一定の「単位」として子や孫に受け継がれ、決まった比率で現れるという法則です。純系どうしを交配すると、孫の世代では優性の形質と劣性の形質がおよそ3対1の比で現れました。 彼は1856年から1863年にかけて、主にエンドウ豆を中心に約2万8千株もの植物を育て、七つの形質を調べています。 今では「近代遺伝学の父」と呼ばれる彼ですが、その発見は生前ほとんど理解されませんでした。
シレジアの農家に生まれた少年
メンデルは1822年7月20日、オーストリア帝国領シレジアのハインツェンドルフ(現在のチェコ、フインチツェ)で、ヨハン・メンデルとして生まれました。 家はドイツ語を話す農家で、少なくとも130年にわたって同じ土地を耕してきました。少年時代のヨハンは庭師として働き、養蜂も学んでいます。 植物や生き物を毎日観察する暮らしが、のちの研究者としての目を育てたのでしょう。
学問の道と修道院
彼はトロッパウのギムナジウムで学んだあと、1840年から1843年までオルミュッツ(オロモウツ)大学の哲学研究所で哲学と物理学を学びました。物理学の先生はフリードリヒ・フランツでした。 その後、ブルノの聖トマス・アウグスチノ修道会に入り、「グレゴール」という修道名を名乗ります。1846年12月25日には司祭に叙階されました。 当時の修道院は、貧しい家の若者が学問を続けられる数少ない場所でもありました。
二度落ちた教員試験
意外なことに、メンデルは教員資格試験の口述試験に1850年と1856年の二度、不合格になっています。 その間の1851年からはウィーン大学で学び、ドップラー効果で知られるクリスティアン・ドップラーに物理学を教わりました。 物理学で身につけた「数えて、比を取る」という考え方は、生物学の研究にとても新しい視点を持ち込むことになります。試験に落ちた人が、教科書を書き換える発見をした――歴史にはこういう皮肉がときどきあります。
修道院の庭での7年間
1856年から1863年まで、メンデルは修道院の庭で実験を続けました。 エンドウ豆は育てやすく、花の形や種の色といった違いがはっきりしているため、実験に向いていました。彼は種の形や色など七つの形質に注目し、純系どうしを交配して、その子と孫の世代を一株ずつ数えていきます。すると、子の世代では一方の形質だけが現れ、孫の世代ではもう一方の形質がおよそ4分の1の割合で再び現れたのです。 隠れていた性質が消えずに受け継がれていた――これが、遺伝の「単位」という考え方の出発点でした。
発表、そして35年の沈黙
メンデルは1865年2月8日と3月8日、ブルノの自然科学協会でこの研究を発表し、1866年に論文「植物雑種の研究」として公表しました。 しかし反応はほとんどなく、その後35年間で引用されたのはわずか3回ほどだったといいます。 その後、ヤナギタンポポ(ヒエラキウム)でも実験しましたが、エンドウ豆のような結果は得られず、手紙をやりとりした植物学者カール・ネーゲリも彼の研究の価値を認めませんでした。
なぜすぐに理解されなかったのか
はっきりした理由を一つに決めることはできませんが、いくつかの事情が考えられます。まず、生物学の論文に数の比や確率を持ち込むやり方は、当時の博物学者にはなじみの薄いものでした。また、発表の場は地方の小さな学会で、論文が載った会報を手に取る研究者も限られていました。さらに、遺伝の「単位」が体のどこにあるのかを説明する染色体の知識も、まだ十分ではありませんでした。正しい答えでも、それを受け止める準備が周りにできていなければ、すぐには広まらないのです。語学の学習でも、あとになって「あの先生の言っていたことはこういう意味だったのか」と気づくことがありますね。
修道院長としての晩年
1860年代の終わりに、メンデルは修道院長に選ばれました。資料によって1867年とも1868年とも書かれています。 院長の仕事が忙しくなるにつれ、科学研究に割ける時間は減っていきました。彼は1884年1月6日、ブルノで慢性腎炎のため61歳で亡くなります。死後、後任の院長は彼の書類を焼いてしまいました。
1900年の再発見と論争
転機は1900年に訪れます。ユーゴー・ド・フリースとカール・コレンスらが、それぞれ独自にメンデルの結果を確かめ、近代遺伝学の時代が始まりました。かつてはエーリッヒ・フォン・チェルマクも再発見者の一人とされましたが、現在ではその評価は認められていません。 1936年には統計学者R・A・フィッシャーが、メンデルのデータは期待値に近すぎると指摘しましたが、のちの研究者たちはこの統計的な批判を退けています。 死後に評価された彼は、いまや「近代遺伝学の父」として知られています。
メンデルで覚える日本語表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 受け継ぐ | 前の世代から引き継ぐ | 子は親の形質を受け継ぐ。 |
| 地道に | 派手さはないが着実に | 彼は地道に豆を数え続けた。 |
| 日の目を見ない | 世間に知られないまま | 論文は長いあいだ日の目を見なかった。 |
| 見直される | もう一度評価される | 1900年に彼の研究が見直された。 |
| 時代を先取りする | 時代より早く新しいことをする | メンデルは時代を先取りしていた。 |
練習問題: あなたが毎日地道に続けている語学の習慣を、「地道に」「受け継ぐ」を使って三文で書いてみましょう。