画狂老人・葛飾北斎の生涯:「神奈川沖浪裏」と「富嶽三十六景」が生まれるまで

葛飾北斎(1760–1849年)は「神奈川沖浪裏」を含む「富嶽三十六景」で知られる浮世絵師です。30以上の画号、88歳まで続いた挑戦、世界への影響を紹介します。

葛飾北斎(1760–1849年)は江戸時代の絵師で、木版画、なかでも「富嶽三十六景」の一枚「神奈川沖浪裏」で世界に知られています。およそ70年にわたる画業で、絵画、素描、版画、本の挿絵など3万点をこえる作品を残しました。 88歳で亡くなるまで画風も名前も変え続け、それでも「まだ絵がわかりはじめたばかりだ」と考えていた人です。

江戸の少年

生年月日ははっきりしませんが、一般に宝暦10年9月23日(1760年10月31日)、江戸の葛飾郡に職人の家の子として生まれたとされます。 12歳で貸本屋に奉公に出され、14歳で木版の彫り師の見習いになり、18歳で浮世絵師・勝川春章の門に入りました。 1779年に「春朗」の名で出した最初の版画は、浮世絵の定番だった歌舞伎役者の絵でした。

30をこえる画号

北斎は生涯で少なくとも30の画号を使いました。名前を変えるのは当時の絵師によくあることでしたが、その数は主な日本の絵師のだれよりも多く、しかも画風の変化と深く結びついていたため、研究者は画号で画業の時期を区切るほどです。 晩年には「画狂老人卍」、つまり「絵に狂った老人」と名のりました。

新しい題材

1793年に師が亡くなると、北斎はオランダやフランスの銅版画を通じて西洋の画法なども学び、さまざまな作風を試しました。 描くものも変わりました。浮世絵の中心だった遊女や役者ではなく、風景や、身分を問わない人々の暮らしに目を向けたのです。 1812年からは絵手本を出し、『北斎漫画』では、人や動物、草花、日常の場面をユーモアたっぷりに描きました。

「神奈川沖浪裏」

1830年代のはじめ、国内の旅行ブームと、北斎自身の富士山への強い関心から「富嶽三十六景」が生まれました。 その一枚「神奈川沖浪裏」では、爪のような形の大波が三艘の舟にのしかかろうとし、遠くに小さな富士山が静かにたたずんでいます。 荒れ狂う海と動かない山の対比、大胆な構図、輸入されたプルシアンブルー(ベロ藍)の色が、この絵を忘れがたいものにしました。「凱風快晴(赤富士)」とともに、北斎の名を国の内外に広めたのです。

晩年の挑戦

北斎は年をとっても満足しませんでした。『富嶽百景』のあとがきでは、70歳までに描いたものは取るに足らず、73歳でようやく生き物の骨格や草木のなりたちが少しわかってきた、さらに年を重ねれば一点一画が生きているように描けるだろう、という意味のことを書いています。 1839年には火事で家と多くの作品を失い、広重のような若い絵師に人気が移っていきましたが、83歳で信州小布施に招かれて絵を描きに出かけています。 1849年に亡くなりました。

北斎と世界

1850年代に日本が開国すると、浮世絵はヨーロッパに大量に渡り、北斎の作品は19世紀後半の西洋の画家たちに大きな影響を与えました(ジャポニスム)。今では「神奈川沖浪裏」は世界でもっとも多く複製される絵の一つで、世界各地の大きな美術館が所蔵しています。

家族と娘・お栄

北斎の私生活については、わかっていることがそれほど多くありません。最初の妻は1790年代のはじめに亡くなり、1797年に再婚しましたが、二人目の妻もほどなく世を去りました。 二人の妻とのあいだには、あわせて二人の息子と三人の娘がいました。 なかでも末娘のお栄(応為とも呼ばれます)は自分も絵師になり、父の仕事を手伝う助手として晩年の北斎を支えました。 その生き方は、のちにマンガや映画『百日紅 Miss HOKUSAI』の題材にもなっています。

『北斎漫画』と連作の時代

『北斎漫画』の第一巻が出たのは1814年のことです。 評判を呼んだこの絵手本は1820年までに12巻を数え、北斎の死後にもさらに3巻が刊行されて、全15巻になりました。 1830年代に入ると、北斎は富士山以外にも連作を次々に手がけます。1833年から1834年ごろには、各地の名瀑を描いた「諸国瀧廻り」を出しました。 「富嶽三十六景」は人気が高かったため、あとから10枚が追加されています。 さらに1834年には「画狂老人卍」の名で『富嶽百景』に取りかかり、富士山という一つの山を、くり返し新しい角度から描き続けました。

最期の言葉

1849年の初めごろ、北斎は「富士越龍図」や「雪中虎図」を描いています。死の直前まで筆を持ち続けていたのです。 伝えられているところでは、死の床で「天があと十年、命を延ばしてくれたら、本物の絵師になれるのだが」と語ったといいます。 同じころに詠んだ辞世の句は「夏の原」という言葉で結ばれています。 1849年5月10日、北斎は江戸で88年の生涯を閉じ、いまの東京都台東区にある誓教寺に葬られました。

西洋の画家たちと北斎

北斎の影響はヨーロッパで具体的な名前とともに語られます。1856年ごろ、フランスの版画家フェリックス・ブラックモンが北斎のスケッチ帖を見つけ、のちに北斎の図柄をもとにした食器「ルソー・セルヴィス」をデザインし、1867年に発表しました。 ドガ、ゴーギャン、クリムト、マネ、ゴッホといった画家たちは北斎の木版画を集めていました。 モネやルノワールの作品にも北斎を思わせる主題が見られ、作曲家ドビュッシーの交響詩『海』(1905年)は「神奈川沖浪裏」から着想を得たと考えられています。

北斎で覚える英語表現

表現 意味 例文
a woodblock print 木版画 Hokusai made woodblock prints.
a series 連作、シリーズ It's a famous series.
in the distance 遠くに Mount Fuji is in the distance.
a late bloomer 大器晩成の人 Hokusai was a late bloomer.
make waves 大きな反響を呼ぶ His prints made waves in Europe.

練習問題: 「神奈川沖浪裏」を英語で三文説明してみましょう。「in the distance」「make waves」を使ってください。

이 인물로 언어 배우기

テーマ別に読む