坂本龍馬の通説を英語圏の研究で読み直す:薩長同盟の主役は誰だったのか

坂本龍馬は薩長同盟の立役者として語られるが、英語圏の研究では小松帯刀の役割を重く見る。郷士の出自、同盟の中身、暗殺の謎を別の角度から整理する。

坂本龍馬の薩長同盟での本当の役割は、ドラマが描く「一人で両藩を結びつけた天才」よりも控えめだった可能性があります。英語版ウィキペディアは、龍馬が1866年の交渉に加わったことは認めつつ、「中立の部外者」としての役割は一般に思われているほど重要ではなく、決定的な役割を果たしたのは薩摩の小松帯刀だったと書いています。 一方で、同盟の前提となった武器の取引は龍馬の提案から動き出したとされ、彼が要所にいたことも確かです。 龍馬のことはよく知っているという人に向けて、海外の記述から見える少し違う龍馬像をたどってみます。

酒屋が買った郷士の身分

坂本家は郷士、つまり武士の身分のいちばん下にあたる家で、その身分は先祖が酒造業で富を築いて買い取ったものでした。 土佐藩は他藩と比べても上士と下士の区別が厳しく、扱いに差があるだけでなく住む地域まで分けられていました。龍馬の代になっても坂本家は下士のままでした。 英語の記述がこの点を詳しく書くのは、龍馬の改革志向を身分制への違和感から説明しようとしているからでしょう。のちに彼が封建制や身分制度のない国を夢見たとされることとも、自然につながります。

剣の道と千葉さな

12歳で私塾に入ったものの学問には向かず、いじめを受けたあと、14歳で姉の勧めにより小栗流の剣術を習い始めました。 1853年には江戸の北辰一刀流千葉道場で修行し、免許を得て師範として教えるまでになっています。

道場主の娘、千葉さなとの関係もよく語られます。二人は婚約し、脱藩後の1862年に再会した龍馬は、家紋入りの片袖を贈ったとされます。さなは1868年に龍馬の死を知らされたとき、自分が妻だと信じたままで、龍馬が別の女性と結婚していたことを知らなかったといいます。

同盟の中身は意外に限定的

薩長同盟は、長年激しく対立してきた薩摩と長州が1866年に結んだ軍事同盟です。 中岡慎太郎の仲介で薩摩の西郷隆盛・大久保利通と長州の桂小五郎が引き合わされ、さらに龍馬の提案で、西郷がイギリス商人トーマス・グラバーを通じた薩摩の武器取引を使って長州に武器を回す話をまとめました。

ただし盟約の範囲はかなり限られていました。六か条の取り決めでは、薩摩は長州が朝廷から赦免を得られるよう尽力し、幕府が攻めてきた場合は2000の兵を京都に送るとしたものの、幕府と実際に戦うのは桑名・会津や将軍徳川慶喜の親衛の兵が朝廷への道をふさいだときに限る、という慎重な内容だったのです。 それでもこの同盟が1866年夏の第二次長州征討で長州を支え、幕府軍の大敗につながったことは間違いありません。

サトウの日記に出てくる「才谷」

龍馬は「才谷梅太郎」という変名を使って活動し、幕府側や新選組にたびたび追われました。 面白いのは、イギリスの外交官アーネスト・サトウの1867年9月30日の日記に、この変名で登場することです。サトウたちの質問を笑い飛ばして煙に巻こうとしたものの、手痛く言い返されて黙った、という少々不名誉な描かれ方をしています。 英雄としてではなく、交渉の席の一人の男として外国人に見られていた龍馬の姿がうかがえます。

勝海舟とスミス&ウェッソン

脱藩浪人だった龍馬は、近代化と西洋化を進める幕臣勝海舟を斬るつもりで会いに行き、逆に西洋に対抗するための長期的な軍備強化の必要を説かれて、その弟子になったと伝えられます。 尊王攘夷から出発した人物が、西洋に学ぶ側へと考えを切り替えた転機です。その後、薩摩の援助で長崎に私設の海軍・商社である亀山社中をつくり、これがのちの海援隊になりました。

1866年3月の寺田屋事件では、入浴中に襲撃者に気づいたお龍が庭を駆け抜けて二階へ知らせ、龍馬はスミス&ウェッソンのリボルバーで応戦しました。 侍の装いに西洋の靴を好んだことと並んで、伝統と近代が入りまじった龍馬らしさを象徴する場面として、海外の記述でもよく取り上げられます。

船中八策と大政奉還

長州が幕府軍を破ると、土佐藩は龍馬を栄誉とともに呼び戻しました。土佐は、薩長が武力で幕府を倒して新たな支配勢力になることを避けるため、将軍と朝廷の話し合いによる決着を望んでいたのです。 龍馬はその交渉でも重要な役割を果たし、1867年の徳川慶喜による大政奉還につながりました。 同じ年、長崎沖の土佐藩船で後藤象二郎と話し合いながらまとめた「船中八策」は、選挙による二院制議会、憲法、国軍の創設、金銀の交換比率の規制などを掲げ、のちの議会制度の土台になったと考えられています。

近江屋事件の謎

1867年12月10日(旧暦では11月15日、龍馬の誕生日)、龍馬は京都の近江屋で中岡慎太郎とともに襲われ、31歳で亡くなりました。 二日後に息を引き取った中岡は、犯人の中に伊予の言葉を話す者がいたと語ったとされます。 当初は新選組が疑われ、近藤勇はのちにこの罪で処刑されましたが、1870年には見廻組の隊士が犯行を自白しています。それでも真犯人は今も証明されていません。

小惑星になった龍馬とお龍

龍馬の名は空にも残っています。小惑星2835番は「Ryoma」、5823番は妻お龍にちなんで「Oryo」と名付けられました。 2003年には高知空港が「高知龍馬空港」に改称され、2009年には函館に北海道坂本龍馬記念館もできています。 大河ドラマ『龍馬伝』で龍馬を演じた福山雅治は、その魅力を「誰もが自分を重ねられる人物」だと語りました。 通説を少し疑ってみても、その魅力が色あせないところに、龍馬という人物の強さがあるのかもしれません。

坂本龍馬で学ぶ日本語表現

表現 意味 例文
犬猿の仲 ひどく仲が悪い間柄 薩摩と長州は犬猿の仲だった。
手を結ぶ 協力関係をつくる 両社はついに手を結んだ。
先見の明 将来を見通す力 彼には先見の明があった。
志半ば 目標を果たす途中で 龍馬は志半ばで倒れた。
一目置く 相手の力を認めて敬意を払う 誰もが彼に一目置いていた。

練習: 「犬猿の仲」と「手を結ぶ」を使って、対立していた人たちが協力した話を日本語で3文書いてみましょう。

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