アリストテレスは何をした人?あらゆる知識を整理しようとした「万学の祖」

アリストテレスは何をした人?あらゆる知識を整理しようとした「万学の祖」

アリストテレスは論理学を体系化し、生物を観察し、アレクサンドロス大王を教え、倫理学や政治学を書きました。その業績をわかりやすくまとめます。

アリストテレス(紀元前384–322年)は古代ギリシアの哲学者で、自然科学、哲学、言語、経済、政治、心理、芸術にまでわたる著作を残した「万学の祖」です。 彼の最大の仕事は、あらゆる知識を整理しようとしたことでした。論理学を初めて体系的に研究し、観察にもとづく生物学の先駆けとなり、倫理学・政治学・弁論術・詩学の書物は今も読まれています。 中世の長いあいだ、「哲学者」と言えば彼のことを指したほどです。

医者の父と、早くに失った両親

アリストテレスの父ニコマコスは、マケドニア王アミュンタス3世の侍医でした。母ファイスティスはエウボイア島のカルキスの出身です。 両親はアリストテレスが幼いうちに亡くなり、アタルネウスのプロクセノスが後見人となりました。 王に仕える医者の家に生まれたことは、のちに彼が生き物の体を細かく観察し、マケドニアの宮廷と深く結びつくことにつながっていきます。母の故郷カルキスが、最後に彼が身を寄せて亡くなる町になったのも、不思議なめぐり合わせです。

スタゲイラからプラトンの学園へ

アリストテレスは北ギリシアのスタゲイラに生まれ、17〜18歳ごろアテネのプラトンの学園「アカデメイア」に入り、約20年間そこで学びました。 プラトンの最も優れた弟子であり、やがて最も鋭い批判者にもなります。完全な「イデア」の世界に真理を求めた師に対し、彼は目の前にある具体的なものをよく見ることを重んじました。

アッソスとレスボス島の海

紀元前348年か347年、プラトンが亡くなって学園の指導者がスペウシッポスに代わると、アリストテレスはアテネを離れました。反マケドニアの空気が強まっていたことも理由の一つだったと考えられています。 かつての学友で小アジアの支配者だったヘルミアスに招かれてアッソスに移り、ヘルミアスの養女で姪にあたるピュティアスと結婚して、同じ名の娘ピュティアスをもうけました。 アッソスでは弟子のテオフラストスとともに植物や海の生き物を研究し、近くのレスボス島でもその仕事を続けています。 島の中央にあるピュラの潟などで、2年にわたって動物を観察しました。 海辺で生き物を一つ一つ見つめたこの時期が、観察にもとづく生物学の出発点になったのです。

アレクサンドロスの家庭教師

その後、マケドニアの宮廷で若きアレクサンドロス大王の教育係を務めました。 当代一の思想家が、歴史上もっとも有名な征服者を教えたという、出来すぎた話のような出会いです。

ミエザの学び舎

紀元前343年か342年、マケドニア王フィリッポス2世は、13歳の息子アレクサンドロスの教育係としてアリストテレスを都ペラに招きました。 授業はミエザにある「ニンフの庭」で行われたといいます。 世界の果てまで遠征することになる少年が、哲学者のもとでどんな問いに向き合ったのか。想像するだけでも興味がつきません。

リュケイオンと「逍遥学派」

紀元前335年、アテネに戻って自分の学園リュケイオンを開きました。その柱廊(ペリパトス)から、彼の学派は「逍遥学派」と呼ばれます。 ここで彼は物理学、天文学、気象、動植物、政治、芸術など、ほとんどあらゆる分野を研究し、教えました。

論理学:考えるためのルール

アリストテレスは、三段論法を含む論理学を初めて体系的に研究した人物とされます。 「すべての人間は死ぬ。ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスは死ぬ」という形の推論です。彼の論理学の著作はのちに『オルガノン』としてまとめられ、その論理学は19世紀まで西洋の思考を支配しました。

観察する生物学者

彼は観察にもとづく体系的な生物学の先駆者とされ、多くの動物、とくに海の生き物を驚くほど細かく記録しました。 もっとも、すべてが正しかったわけではなく、「重い物ほど速く落ちる」という考えなど、物理学の一部は後に誤りだとわかっています。 それでも「見て、記述し、比べる」という方法は科学の種になりました。

倫理学:よく生きるとは

『ニコマコス倫理学』で彼は「よい人生とは何か」を問いました。答えの中心にあるのが「エウダイモニア(幸福、よく生きること)」で、それは徳を実践することで得られます。そして徳の多くは両極端の「中庸」にあり、たとえば勇気は臆病と無謀のあいだにあります。 現代でも「徳倫理学」として彼の倫理学が見直されています。

晩年と遺産

紀元前322年、不敬の罪で告発された彼はアテネを去り、同じ年にカルキスで亡くなりました。 著作は全体の約3分の1しか残っておらず、多くは講義ノートのような形です。それでも彼の思想は中世のイスラーム、ユダヤ、キリスト教の学問に大きな影響を与えました。

遺言と、写本がたどった道

ピュティアスの死後、アリストテレスはスタゲイラ出身のヘルピュリスと暮らし、父の名をとってニコマコスと名づけた息子をもうけました。 遺言では、マケドニアの将軍アンティパトロスを主な遺言執行者とし、妻のそばに葬ってほしいと願っています。 著作はテオフラストスに託され、そこからスケプシスのネレウスへ渡り、のちに収集家アペリコンに買い取られました。 論理学の著作が『オルガノン』としてまとめられたのは、紀元前40年ごろのロドスのアンドロニコスらによるものとされます。 中世のイスラーム世界の学者は彼を「第一の師」とあがめ、トマス・アクィナスは単に「哲学者」と呼びました。

アリストテレスで覚える日本語表現

表現 意味 例文
中庸を守る 極端に走らずほどよくする 勉強も休みも中庸を守ろう。
筋道を立てる 順序よく論理的に考える 筋道を立てて説明してください。
一を聞いて十を知る 少し聞いただけで全体を理解する 彼は一を聞いて十を知る人だ。
理にかなう 道理に合っている その方法は理にかなっている。
観察眼が鋭い ものをよく見て気づく力がある 観察眼が鋭い人は語学も伸びる。

練習問題: 自分の語学学習について三段論法を一つ作ってみましょう(「〜な人はみな…。私は〜だ。だから…」)。そのあと「中庸を守る」を使った文を一つ書いてください。

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