カエサルはなぜ暗殺されたのか?ルビコン川から「3月15日」まで
内戦に勝ち終身独裁官となったユリウス・カエサルは、紀元前44年3月15日に元老院議員たちに刺殺されました。その出世と暗殺の理由をわかりやすく解説します。
ユリウス・カエサルは紀元前44年3月15日、ブルトゥスとカッシウスが率いる元老院議員たちに少なくとも23か所を刺されて暗殺されました。 その数週間前に彼は「終身独裁官」に就いており、一人の人物が永久に権力を握ればローマの共和政は終わると考えた議員が多かったのです。 ところが皮肉なことに、暗殺は共和政を救いませんでした。彼の養子がやがてローマ最初の皇帝になったからです。
危険な都で育った野心家
カエサルは紀元前100年7月12日か13日、ローマの下町スブラで生まれました。 若いころ海賊に捕まり身代金を払って解放されたことは事実ですが、後世の話はかなり脚色されています。
紀元前60年、彼は名将ポンペイウス、大富豪クラッススと非公式の同盟を結びました。いわゆる「第一回三頭政治」ですが、これは現代の呼び名で、正式な役職ではなく私的な取り決めでした。 その後押しで紀元前59年に執政官となり、任期後はガリアの属州を任されます。
スッラに逆らった若者
カエサルの父は紀元前84年の初めに突然亡くなりました。 同じころ、カエサルは有力者キンナの娘コルネリアと結婚します。紀元前82年に内戦に勝った独裁者スッラは離婚を命じましたが、カエサルはこれを拒み、身を隠しました。最後は神官の職を手放す代わりに妻とは別れずにすむ、という妥協に落ち着いています。 コルネリアは紀元前69年、娘ユリアを産んでまもなく亡くなりました。 紀元前77年と76年には法廷で告発人として活動し、そのあと弁論術を学ぶためにロドス島の弁論家アポロニオス・モロンのもとへ向かいます。海賊に捕まったのは、この旅の途中のことでした。
財務官から最高神祇官へ
紀元前69年、カエサルは財務官としてヒスパニア・ウルテリオル(スペイン南部)に赴任しました。 紀元前63年には、宗教の最高職である最高神祇官の選挙で、有力者クィントゥス・ルタティウス・カトゥルスらを破って当選しています。 同じ年の12月、カティリナの陰謀に加わって捕らえられた者たちの処遇が元老院で議論されると、法務官に選ばれていたカエサルは死刑に反対しました。しかしカトの演説で元老院は処刑に傾きました。 娘ユリアはのちに盟友ポンペイウスと結婚しましたが、紀元前54年の8月末ごろに出産で亡くなっています。
ガリア戦争と『ガリア戦記』
カエサルは現在のフランスやベルギーなどで長い遠征を続け、紀元前52年のアレシアの戦いでガリアの指導者ウェルキンゲトリクスを包囲し、降伏させました。 彼自身が書いた『ガリア戦記』は紀元前58年から52年の戦いを、三人称のわかりやすいラテン語で記録しています。 中立な報告書のように見えて、実は見事な自己宣伝でもありました。
ブリタニア遠征とクラッススの死
ガリアでの戦いのあいだに、カエサルは海を越えて紀元前55年と54年の二度、ブリタニア南部に遠征しました。 しかしガリアで反乱が起きたため、紀元前54年の終わりには引き上げています。 翌紀元前53年、三頭政治の一角だったクラッススがカルラエの戦いでパルティア軍に討たれました。
ルビコン川を渡る
富と名声と兵士の忠誠を手にしたカエサルを元老院は恐れ、軍を手放すよう命じました。しかし紀元前49年1月初め、彼は一個軍団を率いて属州の境界であるルビコン川を渡ります。軍を率いてイタリアに入るのは違法で、ここから内戦が始まりました。 プルタルコスとスエトニウスによれば、このとき彼はギリシアの劇作家メナンドロスの一句を引用したとされ、それがラテン語の「賽は投げられた(alea iacta est)」として知られています。
内戦、エジプト、「来た、見た、勝った」
紀元前48年8月9日、カエサルはファルサルスの戦いでポンペイウスを破りました。 エジプトでは女王クレオパトラ7世を支持し、紀元前47年6月ごろ彼女は息子カエサリオンを産みます。 同じ年、ゼラでファルナケス王をあっという間に破り、「来た、見た、勝った(veni, vidi, vici)」と書き送りました。
ユリウス暦と「7月」
彼は季節とずれていたローマの暦を改め、365日で4年ごとに閏日を置く太陽暦を紀元前45年に施行しました。 今のグレゴリオ暦はこのユリウス暦を少し直したものです。また彼の生まれ月クインティリスは彼にちなんでユリウスと改名され、英語のJuly(7月)になりました。
終身独裁官と3月15日
独裁官は本来、短い非常時だけの役職でした。紀元前44年初めに終身独裁官となったカエサルは、王のように見え始めます。2月には約60人が暗殺計画に加わっていました。 3月15日、ポンペイウス劇場での元老院会議で彼は取り囲まれ、刺殺されました。最期の言葉については、黙って倒れたという記録と、ブルトゥスにギリシア語で「おまえもか、息子よ」と言ったという伝承があります。 有名な「ブルータス、おまえもか」は、主にシェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』で広まったものです。
暗殺の後、養子オクタウィアヌスがカエサルの名を掲げて内戦に勝ち、初代皇帝アウグストゥスとなりました。
カエサルで覚える日本語表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 賽は投げられた | もう後戻りできない | 願書を出した。賽は投げられた。 |
| ルビコン川を渡る | 重大な決断をする | 退職を伝えて、ルビコン川を渡った。 |
| 飼い犬に手を噛まれる | 信頼していた人に裏切られる | まさに飼い犬に手を噛まれた気分だ。 |
| 破竹の勢い | 止められないほどの勢い | 彼は破竹の勢いで勝ち進んだ。 |
| 天下を取る | 最高の権力を握る | 内戦に勝ち、彼は天下を取った。 |
練習問題: 自分の人生の大きな決断について、「賽は投げられた」と「ルビコン川を渡る」を使って三文書いてみましょう。声に出して読むと表現がしっかり身につきます。