ネロは本当にローマに火をつけたのか?「燃える都で竪琴を弾いた」伝説を史料で検証

おそらく放火犯ではありません。タキトゥスによれば大火の発生時ネロはアンティウムにいて、急いで戻り救済を指揮しました。竪琴の話は敵対的な後世の噂です。

結論から言うと、ネロが自分でローマに火をつけたという証拠はなく、「燃える都を眺めながら竪琴を弾いて歌った」という有名な場面も、確かな事実とは言えません。64年7月18日から19日にかけての夜に大火が起きたとき、歴史家タキトゥスはネロが都から約56キロ離れたアンティウムの別荘にいたと書いており、皇帝は急いで戻って被災者の救済にあたりました。 歌っていたという話を伝えるのは、ネロに強い敵意をもっていたスエトニウスやカッシウス・ディオです。 ネロが母や妻を殺した残酷な皇帝だったことは確かですが、いちばん有名な「放火して歌った皇帝」という姿は、その記録の中でもっとも疑わしい部分なのです。

皇帝になるはずではなかった少年

ネロは37年12月15日、アンティウム(現在のアンツィオ)で生まれました。 父グナエウスは40年に亡くなり、母の小アグリッピナは皇帝カリグラによって追放されます。父の遺産はカリグラに取り上げられ、幼いネロは叔母ドミティア・レピダのもとで育てられました。 当時の彼が将来の皇帝になると考えた人は、ほとんどいなかったでしょう。

運命が変わったのは、母アグリッピナが皇帝クラウディウスの後妻になってからです。母の計略によって、ネロはクラウディウスの養子となりました。 53年には皇帝の娘オクタウィアと結婚し、実の息子ブリタンニクスよりも後継者にふさわしいと見られるようになります。そして54年にクラウディウスが亡くなると、わずか16歳で皇帝に即位しました。

名君と呼ばれた最初の数年

意外かもしれませんが、ネロの治世の初めは名君の誉れが高い時期でした。家庭教師だった哲学者セネカと近衛長官ブッルスが政治を支え、安定した統治が続いたのです。 後の皇帝トラヤヌスは、この時期を「ネロの五年間」と呼んで良い政治の手本としたと伝えられています。 徴税人の監督が強められ、奴隷が自分の扱いについて役所に訴えることも認められました。

しかし、母や側近との緊張はしだいに高まっていきます。55年のブリタンニクスの殺害に始まり、59年に母アグリッピナ、62年に妻オクタウィア、65年には師セネカを死に追いやったことで、ネロは後世に暴君として知られるようになりました。 火事よりも、こうした身内の殺害こそが「暴君ネロ」の本当の根拠だといえます。

ローマが燃えた夜

火元は、大競技場チルコ・マッシモのまわりにあった、燃えやすい品物を売る商店でした。夜の強い風にあおられた炎は、狭く曲がりくねった道と密集した集合住宅のあいだを一気に広がります。六日間燃え続けていったん収まったかに見えたあと、再び燃え上がってさらに三日間続きました。 ローマの十四の区のうち三つが完全に焼け落ち、七つが大きな被害を受けました。

もともとローマは火事の多い都市でした。初代皇帝アウグストゥスは夜警の消防隊を置きましたが、使える道具はバケツの水や毛布、酢、そして建物を壊して延焼を止めることくらいでした。 現在の多くの歴史家は、これほど人が密集した木造の都市では、いつかこうした大災害が起きるのは避けられなかったと考えています。

「竪琴を弾いた」話はどこから来たのか

この話を伝える三人の歴史家は、誰も現場を見ていません。タキトゥスとスエトニウスはネロの死から五十年以上たってから、カッシウス・ディオは百五十年以上たってから書いています。 しかも話の中身は一致しません。宮殿から燃える街を見ながら竪琴を弾いて歌ったという版もあれば、エスクイリヌスの丘の塔から眺めたという版、私的な舞台で歌ったという確かめられない噂にとどめる版もあります。

いちばん慎重なタキトゥスは、ネロが犯人だったかどうかの判断を保留しています。噂は記録しつつも、出火したときネロはアンティウムにいたと書いているのです。 英語の「ローマが燃えているのにバイオリンを弾く」という言い回しは、この古い噂から生まれた表現です。

大火のあとにネロがしたこと

史料が伝えるネロの対応は、意外なほど現実的でした。被災者の救済を陣頭指揮し、すばやく政策を実行してローマを再建したことは市民に好評で、ネロに批判的だったタキトゥスでさえ「人間の知恵の限りをつくした有効な施策であった」と書いています。 宮殿や庭園を家を失った人々に開放し、食料を運び込んで飢えを防ぎました。

新しい建築規則も出されました。家と家の間隔を空け、れんがで建て、広い道に面して柱廊を設けるという決まりで、その都市計画の跡は今のローマの街並みにも残っています。 大火のあとに建てられた黄金宮殿ドムス・アウレアは、ローマン・コンクリートの普及にも一役買いました。

それでも疑われた理由

疑いを招いたのは、まさにその黄金宮殿でした。焼け跡に巨大な宮殿を建てたことで、「自分好みの街を作るために火をつけたのではないか」という噂が広まったのです。 けれども歴史家たちは、ネロはその土地の大部分をすでに持っていて、残りも火事を起こさずに取り上げることができたと指摘しています。 再建費用のために税は重くなり、貨幣の質も落とされました。その負担が、のちに歴史を書いた上流階級の怒りをさらに強めました。

キリスト教徒への責任転嫁

タキトゥスによれば、ネロは自分への疑いをそらすため、大火の犯人としてキリスト教徒を捕らえ、残酷に処刑しました。 この迫害のため、キリスト教文化圏ではネロの評価がとても低く、使徒ペトロもこのとき殉教したと伝えられています。 ただし、迫害と大火を結びつけている初期の著者はタキトゥスただ一人で、後のキリスト教著述家たちはネロを迫害者として記憶しながらも火事には触れていません。

竪琴を愛した皇帝と、その死後

ネロには、戦車の騎手や竪琴の歌手になりたいという、当時の上流社会では見下された夢がありました。歌が好きで、数千人の観衆を集めてコンサートを開くのが趣味だったといいます。 オリンピア競技にも出場して優勝しましたが、戦車から落ちて脱落しても優勝扱いになるような出来レースでした。

68年に反乱が広がり、元老院から国家の敵とされたネロは自ら命を絶ちます。それでも、その墓にはローマ市民からの花や供物が絶えなかったと伝えられ、次の皇帝ウィテリウスはネロの慰霊祭を開いて民衆を喜ばせました。 上流階級には憎まれ、庶民には惜しまれた皇帝。放火犯という一枚の絵だけでは、ネロという人物は語りきれないのです。

ネロで覚える日本語表現

表現 意味 例文
火に油を注ぐ 事態をさらに悪くする 彼の一言が火に油を注いだ。
濡れ衣を着せる 無実の人に罪をかぶせる 彼らは無関係な人に濡れ衣を着せた。
火のない所に煙は立たぬ 噂には何か原因がある 火のない所に煙は立たぬと言うが、今回は違った。
対岸の火事 自分には関係のない出来事 この問題は対岸の火事ではない。
焼け野原から立ち直る 大きな被害から復興する 街は焼け野原から立ち直った。

練習問題: 「濡れ衣を着せる」「火に油を注ぐ」を使って、ネロとローマ大火について三文で書いてみましょう。

이 인물로 언어 배우기

テーマ別に読む