女王ハトシェプストはなぜ付け髭をつけ、死後に名前を消されたのか?
古代エジプトで約22年王として君臨した女性ハトシェプスト。男装の理由、プント遠征、死後に名前が削られた謎をわかりやすく解説します。
ハトシェプストが付け髭をつけたのは、男性のふりをするためというより、「ファラオ」という役職の正式な姿をまとうためでした。そして死後に名前が削られたのは、後の王たちが王位の流れを男系で一本につなぎ直したかったためだと考えられています。 彼女は紀元前15世紀ごろ、第18王朝で王として君臨した女性で、名前は「最も高貴なる女性」を意味します。 公の場では男装し、付け髭をつけていたとされています。
王の娘として生まれて
ハトシェプストの父はトトメス1世、母は王妃イアフメスです。彼女は異母弟のトトメス2世と結婚し、娘ネフェルウラーをもうけました。 英語版ウィキペディアによれば、結婚したのは14〜15歳ごろでした。
ところが、夫トトメス2世の後継ぎとなったのは、彼女の子ではなく、側室が産んだ息子トトメス3世でした。 最も格の高い血筋を持ちながら、王位を継ぐ男の子は自分の子ではない。この状況が、彼女の人生を大きく動かしていきます。
摂政から王へ
夫が亡くなったとき、トトメス3世はまだ2歳ほどの幼児でした。ハトシェプストは紀元前1479年ごろから摂政として国を治め始めます。 現在の研究では、トトメス3世の治世7年目ごろまでに彼女は正式な王の地位に就き、自分の即位をさかのぼって1年目から数えたと考えられています。
ここで面白いのは、トトメス3世が追放されなかったことです。彼は王のままでしたが、立場は「格下の共同統治者」でした。即位の経緯については、王位を奪ったと見る説と、継子が成長するまでの「つなぎ」だったと見る説があり、学説は分かれています。
付け髭は変装ではなく「制服」
彼女の像は、時期が進むにつれて女性らしい姿から男性的な姿へと変わっていきました。王の頭巾、額のコブラ、腰布、そして付け髭。これらは王権の象徴で、多くの研究者は「男に化けた」というより「王の装いをした」と解釈しています。
さらに彼女は、アメン神がトトメス1世の姿をとって自分を授けたという「神の誕生」の物語を神殿に刻ませました。父が自分を後継者に指名したとする碑文も残しています。 女性が王になる前例がほとんどなかったからこそ、神話と象徴を総動員して正統性を示したのです。
戦争より交易:プント遠征
ハトシェプストの治世は、戦争を避けた平和外交が特徴だとされます。 最も有名なのは治世9年目のプント遠征で、使節団は生きたままの没薬の木31本と乳香を持ち帰りました。 この航海の様子は、デル・エル・バハリの葬祭殿の壁に、プントの女王アティの姿とともに描かれています。 交易の成功を石に刻むことで、神々に祝福された治世であることを見せたわけです。
オベリスクと葬祭殿
彼女はカルナック神殿の入口に一対のオベリスクを建て、当時は世界一の高さでした。そのうち1本は今も立っています。治世16年目に命じた別のオベリスクは、アスワンの石切り場で割れてしまい、「未完のオベリスク」として今もその場に残っています。
代表作は、ナイル西岸の崖を背に段々に広がるデル・エル・バハリの葬祭殿です。設計者ははっきりしませんが、側近のセンエンムトや大神官ハプセネブが関わった可能性があります。
側近センエンムトという謎の人物
ハトシェプストの治世を語るうえで欠かせないのが、工事監督官センエンムトです。彼は女王に最も近い支持者の一人で、葬祭殿の設計に関わった可能性があります。ところが治世16年目から20年目ごろを境に、彼の名前は記録から姿を消します。亡くなったのか、それとも失脚したのか、史料ははっきり語りません。 二人の関係についてはさまざまな想像が語られてきましたが、確かな証拠はなく、あくまで推測にとどまります。
また彼女は、本来は治世30年目に行うのが伝統だった王の記念祭「ヘブ・セド祭」を、治世15年目という早い時期に祝いました。 中部エジプトのベニ・ハサンには、女神パケトにささげた岩窟神殿も造らせています。 こうした行事や建築のひとつひとつが、自分こそ正統な王だと人々に示すための舞台装置だったと見ることができます。
ミイラは見つかったのか
2007年、1903年に王家の谷KV60で見つかっていた女性のミイラがハトシェプストだと特定されたと発表されました。決め手は、彼女の名が刻まれた箱から見つかった歯でした。 ただし2011年には、その歯は下あごのもので、ミイラに欠けていたのは上あごの臼歯だったという指摘があり、特定には疑問も残っています。
なぜ名前は消されたのか
彼女の名前と像は、トトメス3世の治世の終わりごろからアメンホテプ2世の時代にかけて組織的に削られました。カルトゥーシュは削り取られたり、トトメス1世や2世の名に書き換えられたりし、葬祭殿の像は壊されて穴に埋められました。
一般にはトトメス3世の仕業とされますが、考古学者ザヒ・ハワスは二人の関係は良好で、抹消は女性の統治を快く思わない人々によるものではないかと述べています。 削除が死後20年ほどたってから行われたことも、個人的な恨みより、王位継承を男系の一本の線に見せるための政治的な作業だったという説を支えています。
消された女王がよみがえるまで
それでも抹消は完全ではありませんでした。初期のエジプト学者たちは、葬祭殿の浮き彫りに男性の王が描かれているように見えるのに、文章は女性形の文法で書かれていることに頭を悩ませました。この混乱は「ハトシェプスト問題」と呼ばれています。 研究が進むにつれて彼女の治世は少しずつ復元され、アメリカの歴史家ジェームズ・ヘンリー・ブレステッドは彼女を、記録に残る最初の偉大な女性と評しました。
消そうとしたことで、かえって物語は印象深くなりました。王位に就き、戦争より交易を選び、後の時代に記録から外された女性。その姿は、歴史が誰によってどう書かれるのかを考えるきっかけを今も与えてくれます。
ハトシェプストで覚える日本語表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 実権を握る | 本当の権力を持つ | 摂政として実権を握った。 |
| 表舞台に立つ | 人々の前で活躍する | 彼女はついに王として表舞台に立った。 |
| 歴史から消し去る | 記録をなくす | 後の王は彼女を歴史から消し去ろうとした。 |
| 日の目を見る | 世に出て認められる | 彼女の業績は近代に日の目を見た。 |
| 一目置かれる | 能力を認められる | 交易の成功で周辺国から一目置かれた。 |
練習問題: 尊敬するリーダーについて、「実権を握る」「一目置かれる」を使って三文書いてみましょう。