ルートヴィヒ2世はなぜ「狂王」と呼ばれた?ノイシュヴァンシュタイン城を建てた王の謎の死
ノイシュヴァンシュタイン城を建てたバイエルン王ルートヴィヒ2世。診察なしで「狂気」と判定され、翌日湖で亡くなった謎をわかりやすく解説します。
ルートヴィヒ2世が「狂王」と呼ばれるのは、1886年に政府が精神の病を理由に彼を退位させたからです。けれども、その判定に署名した4人の医師は、実際に王を診察した記録がありません。 王は退位の翌日、シュタルンベルク湖で医師グッデンとともに水死体で見つかり、その死の真相は今もわかっていません。 一方で、豪華な城を次々に建てたことから「メルヘン王」とも呼ばれています。
18歳で王になった夢見る青年
ルートヴィヒは1845年8月25日、ミュンヘンのニンフェンブルク宮殿で、国王マクシミリアン2世とプロイセン王女マリーの長男として生まれました。 厳しい父との関係は冷たく、少年は中世の伝説や劇の世界に心を寄せて育ちます。
1864年3月10日、父が急死し、まだ10代のルートヴィヒが国王になりました。 背が高く美しい若い王は国民に人気がありましたが、毎日の政治にはあまり興味がなく、芸術や建築、そして音楽に夢中でした。
ワーグナーとの出会い
即位してすぐ、王は作曲家リヒャルト・ワーグナーを宮廷に招きます。二人は1864年5月4日に会い、王は彼の熱心な支援者になりました。 しかしワーグナーをめぐるうわさや浪費に宮廷が反発し、1865年12月、王は彼をミュンヘンから去らせるしかありませんでした。
それでも友情は続き、王はバイロイト祝祭劇場の建設のために10万ターラーを貸し、ワーグナーの家ヴァーンフリート荘の費用も払いました。 今も世界中の音楽ファンが集まるバイロイト音楽祭は、この王の支えなしには生まれなかったかもしれません。
婚約破棄と孤独
1867年、王はいとこのゾフィー・シャルロッテと婚約しました。オーストリア皇后エリーザベト(シシィ)の妹です。しかし結婚式を何度も延期し、その年の10月に婚約は解消されました。王は生涯結婚しませんでした。 その後、王はしだいに人前に出なくなり、山の城で夜に暮らすようになっていきます。
戦争とドイツ統一のはざまで
ルートヴィヒの時代は、小さなドイツの王国にとって危険な時代でした。1866年の普墺戦争でバイエルンはオーストリア側について敗れ、勝ったプロイセンと防衛同盟を結ばされます。1870年の普仏戦争ではプロイセン側で戦いました。 その後、ビスマルクはお金の約束と引きかえに、プロイセン王をドイツ皇帝に推す手紙「カイザーブリーフ」に王の署名を取りつけます。けれどもルートヴィヒは、1871年1月にヴェルサイユで行われた皇帝即位の式には出席しませんでした。 王国の独立が薄れていく現実から目をそらすように、王はますます自分だけの夢の世界へ入りこんでいったのです。
メルヘン王の三つの城
王の名を世界に残したのは城です。伝説への愛から建てた中世風のノイシュヴァンシュタイン城、ヴェルサイユ宮殿をまねたヘレンキームゼー城、グラン・トリアノンをまねたリンダーホーフ城です。 ノイシュヴァンシュタイン城の礎石は1869年9月5日に置かれ、室内はワーグナーの『タンホイザー』『ローエングリン』『パルジファル』の場面で飾られました。
工事費は巨額で、王は1885年までに約1400万マルクの借金を抱えていました。 大臣たちは節約を求めましたが、王は新しい計画をやめませんでした。皮肉なことに、王がノイシュヴァンシュタイン城で過ごしたのは、合わせてわずか172日でした。
診察なしの「狂気」判定
1886年、政府は王を退けることを決めます。召使いたちの証言を集め、精神科医グッデンら4人が王は統治できないとする報告書に署名しました。グッデンが王に会ったのは12年前の一度だけでした。 6月12日、王は退位させられ、叔父のルイトポルトが摂政になりました。 日本語版ウィキペディアは、病気という理由の裏に城の借金をめぐる政府との対立があった可能性も指摘しています。
湖での謎の死
翌6月13日の夕方、王はベルク城の近くの湖畔をグッデンと散歩に出て、二人とも戻りませんでした。夜10時半ごろ、腰ほどの深さの浅瀬で二人の遺体が見つかり、王の時計は6時54分で止まっていました。 40歳でした。
公式には入水自殺とされました。しかし王は若いころ泳ぎが得意で、解剖では肺に水がなかったと伝えられ、グッデンの遺体には頭や首を打たれた跡がありました。 逃げようとして冷たい水で心臓発作を起こしたという説もあれば、暗殺説もありますが、どれも証明されていません。正直に言えば、あの夕方に何が起きたのかはわからないのです。
王の遺体はミュンヘンの聖ミヒャエル教会に葬られ、心臓は銀の器に入れられて巡礼地アルトエッティングに納められました。毎年6月13日には、そこで王をしのぶ集まりが開かれています。 王位は弟オットーが継ぎましたが、オットーも心の病で治療を受けていたため、実際には叔父ルイトポルトが摂政として国を治めました。
借金の城から世界の名所へ
王を追いつめた城は、今ではバイエルンの宝です。ノイシュヴァンシュタイン城は王の死から数週間後に一般公開され、今では毎年130万人以上が訪れます。ディズニーランドの「眠れる森の美女の城」のモデルになり、2025年には世界遺産に登録されました。 いとこのシシィは彼を「狂人ではなく、変わり者だった」と書いています。
ルートヴィヒ2世で覚える日本語表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 夢見がち | 現実より夢を追いがちな | 王は夢見がちな青年だった。 |
| 湯水のように使う | お金を惜しまず使う | 王は城にお金を湯水のように使った。 |
| 謎に包まれる | 真相がわからない | 王の死は今も謎に包まれている。 |
| 人目を避ける | 人に見られないようにする | 晩年の王は人目を避けて暮らした。 |
| 後世に名を残す | のちの時代まで知られる | 城は王の名を後世に残した。 |
練習問題: 「夢見がち」「謎に包まれる」を使って、あなたが行ってみたい城について三文で書いてみましょう。