ヨーロッパ史の人物
カール大帝、ジャンヌ・ダルク、ヘンリー8世、ナポレオンなどヨーロッパをつくった人々。
- 「パンがなければお菓子を」は本当にマリー・アントワネットの言葉?史料でたどる王妃の素顔
彼女が言った証拠はありません。この言葉は、彼女がまだ9歳の頃に書かれたルソーの『告白』に出てきます。断頭台に消えた王妃の実像を解説します。
- 800年のクリスマスに戴冠した王:カール大帝の「ヨーロッパの父」という呼び名は妥当か
カール大帝が「ヨーロッパの父」と呼ばれるのは、西ヨーロッパの大部分を統一し、西方の帝位を復活させ、法・教会・学問の土台を築いたからです。
- アン・ブーリンはなぜ処刑された?エリザベス1世の母が3週間で失脚した理由
ヘンリー8世の2番目の王妃アン・ブーリンは1536年、不貞・近親相姦・反逆の罪で斬首されました。多くの歴史家が疑う罪状と、失脚の本当の背景を解説します。
- ヴィクトリア女王はなぜ40年も喪服を着続けた?「ヨーロッパの祖母」の素顔
夫アルバートを亡くしたヴィクトリア女王は、生涯黒い喪服で過ごしました。63年の治世、9人の子ども、「ヨーロッパの祖母」と呼ばれた理由を解説します。
- エカチェリーナ2世はなぜ「大帝」と呼ばれた?ドイツ生まれの女帝が歩んだ34年
エカチェリーナ2世はドイツの小国の王女ゾフィーとして生まれ、15歳でロシアへ。1762年に夫を退位させて即位し、34年間ロシアを治めました。
- エリザベス1世はなぜ生涯結婚しなかったのか?「処女王」の選択と黄金時代
エリザベス1世が求婚者をすべて断ったのは、結婚が王権と国の平和、そして自身の安全を脅かしたからです。その選択が治世をどう形づくったかを解説します。
- ジャンヌ・ダルクはなぜ火刑になったのか?戦争の流れを変えた少女の生涯
17歳前後で軍を率いたジャンヌ・ダルクは、1431年に「戻り異端」として火刑に処されました。農村の少女が王を戴冠へ導き、裁判にかけられるまでを解説します。
- ドラキュラのモデル「串刺し公ヴラド」は実在した?本当の姿を史実から読み解く
ワラキア公ヴラド3世は生前から「ドラキュラ」と呼ばれた実在の君主。吸血鬼との関係、オスマン帝国との戦い、残虐伝説の真偽を解説します。
- ナポレオンは本当に背が低かったのか?コルシカ訛りの皇帝の生涯
ナポレオンの身長は約168cmで当時の平均並み。「小男」のイメージはイギリスの風刺から広まりました。コルシカ出身の砲兵士官が皇帝になり、失脚するまでを解説します。
- ノストラダムスの大予言は当たったのか?「1999年」の詩と的中説の正体
ノストラダムスは1555年に謎めいた四行詩を発表した16世紀の医師・占星術師。出来事の前に具体的に当たった詩はありません。的中説が生まれる仕組みを解説します。
- ヘンリー8世はなぜ6回も結婚したのか?王妃たちの運命とイギリス国教会の誕生
ヘンリー8世が6人の王妃を迎えた最大の理由は、王位を継ぐ男子が欲しかったから。ローマとの決別、6人の王妃それぞれの結末までを解説します。
- マタ・ハリは本当にスパイだったのか?2017年の公開資料が示した「伝説の女スパイ」の実像
フランスとドイツの両方の諜報要員だったのは事実。しかし2017年の公開資料でも、どちらにも役立つ情報を渡した証拠は見つからず、敗戦続きのフランスの身代わりにされたと考えられています。
- ルートヴィヒ2世はなぜ「狂王」と呼ばれた?ノイシュヴァンシュタイン城を建てた王の謎の死
ノイシュヴァンシュタイン城を建てたバイエルン王ルートヴィヒ2世。診察なしで「狂気」と判定され、翌日湖で亡くなった謎をわかりやすく解説します。
- 黒ひげは本当に残虐な海賊だったのか?煙をまとった男の「脅しの戦略」と最期
伝説ほど残虐ではなく、恐ろしい見た目で戦わずに奪う計算高い海賊でした。活動はわずか2年ほど、1718年オクラコークで最期を迎えます。
- 造船所で働き、ひげに税をかけた皇帝――ピョートル大帝はロシアをどう作り変えたか
ピョートル大帝(1672–1725)はオランダの造船所で学び、サンクトペテルブルクを築き、ひげ税を課してロシアを帝国にした君主。主な改革とその代償を解説します。
- 毒も効かず銃弾でも死なない?ラスプーチンの最期を検死記録から読み解く
ラスプーチンは1916年12月、額への至近距離の一発を含む3発の銃弾で死にました。毒殺や溺死の話は検死結果と合いません。