サミュエル・モールスとは何をした人?画家から電信の発明へ、年表でたどる生涯と英語表現

モールスは電信機を発明しモールス符号に名を残したアメリカの画家・発明家です。誕生から1844年の電信開通、政治的立場までを年表でたどり、英語表現の練習も紹介します。

結論:サミュエル・モールスとは何をした人か

モールスはアメリカの画家であり発明家で、モールス電信機を発明しモールス符号に名を残した人物です。1791年4月27日にマサチューセッツ州チャールズタウンで生まれ、1872年4月2日に没しました。この記事では、画家として歩み始めた前半生から電信の開通までを、出来事の順に見ていきます。

1844年5月24日、ワシントン-ボルチモア間で正式に電信が開通し、最初の電報として「What hath God wrought」を送りました。1851年には、モールスの電信装置がヨーロッパで電信の標準として正式に採用されました。画家と発明家という二つの顔を整理することが、今回の読み方の軸になります。

画家を志した若き日

父ジェディディア・モールスは連邦党を支持するカルヴァン主義の伝道師で、長男にカルヴァン主義の道徳を教え込みました。モールスは1810年にイェール大学を卒業しています。在学中には電気の講義を受けていました。この事実は、後の電信の話と並べて読むと興味深い点です。

1811年7月15日、モールスはワシントン・オールストンと共にイングランドへ出航し、絵画を学びました。イングランドでは、初期の傑作とされる Dying Hercules を完成させました。1815年8月21日にイングランドを発ち、アメリカに戻って画家として活動を始めます。

1826年から1842年まで、モールスはニューヨークに設立されたナショナル・アカデミー・オブ・デザインの初代所長を務めました。

電信研究のきっかけ

モールスは1818年にルクレチア・ピカリング・ウォーカーと結婚しました。1825年に彼女は3番目の子の出産直後に亡くなっています。同じ年、ワシントンD.C.で肖像画を描いている最中に妻の危篤を知らされましたが、到着時には埋葬が済んでいました。

出典は、この出来事をきっかけにモールスが高速な長距離通信手段の研究を始めたと記しています。ただしこれは出典による解釈の部分です。本人の言葉として確認できる説明ではないため、そのように区別して読むのが安全です。

1832年、モールスは大西洋横断の船内でチャールズ・トーマス・ジャクソンと出会いました。そして電磁石の実験に触発されて、電信の着想を得ました。絵画から電信へと関心が移っていく流れが、この年表から見えてきます。

公開実験から開通まで

1838年1月11日、モールスはニュージャージー州モリスタウンの鉄工所で、電信の公開デモンストレーションに成功しました。継電器の導入により、16km以上の信号伝送にも成功しています。継電器の導入という一つの工夫が、伝送できる距離の記録を変えたことが数字から分かります。

モールスの電信の初期の伝送速度は、1分間に30文字でした。距離の16km以上と、速度の30文字という二つの数字を並べると、初期の電信の姿が具体的に見えてきます。ほかの通信手段との優劣を比べるには別の資料が必要なので、ここでは数字の紹介にとどめます。

モールス符号の文字符号は、共同研究者のアルフレッド・ヴェイルが文字の使用頻度を調べて考案したものです。これは現在、アメリカン・モールス符号と呼ばれています。符号に名を残したのはモールスですが、文字の符号を考案したのはヴェイルだという役割の違いは、押さえておきたい点です。

電信以外の顔と評価

1836年、モールスは反移民を掲げる Nativist Party からニューヨーク市長選に出馬しましたが、1496票で敗れました。発明家として知られるモールスには、このように政治に関わった記録もあります。

1850年代、モールスはアメリカの奴隷制を擁護する立場をとり、論文でそれを神によって是認された状態と記しました。発明の功績と政治的な主張は別々の事柄です。出典ごとに分けて記録し、混ぜずに読むことが人物を理解する助けになります。

モールスは1858年にプエルトリコから南アメリカでの電信普及に着手しました。1859年には、娘の家と農場を結ぶ2マイルの電信線が開通しています。電信の普及に向けた動きは、1844年の開通後も続いていたことが分かります。

英語表現と練習課題

最初の電報として記録されている文は「What hath God wrought」です。まずは一語ずつ書き写し、声に出して読んでみてください。語句の意味を調べて、自分の言葉で言い換えられるか試すのも良い練習になります。

次は、この記事の事実を使った英作文の練習です。以下は私たちが作った練習用の例文で、モールス本人の発言ではありません。

  • Samuel Morse was an American painter and inventor.(モールスはアメリカの画家であり発明家でした。)
  • In 1844, the telegraph line between Washington and Baltimore officially opened.(1844年、ワシントンとボルチモアの間の電信線が正式に開通しました。)

解説です。人物の過去の事実を述べるので、動詞は過去形にします。「A と B の間」は between A and B で表せます。

課題として、年表を自分の言葉でまとめ、絵画から電信へ関心が移った経緯を説明する短い英文を書いてみてください。モールスとヴェイルの役割の違いを、二文で書き分けてみるのも良いでしょう。書いた文は、出典の事実と照らし合わせて確認してみてください。

サミュエル・モールスで外国語を学ぶ

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