コナン・ドイルとはどんな人?シャーロック・ホームズを生んだ医師は妖精を信じていた

コナン・ドイルとはどんな人?シャーロック・ホームズを生んだ医師は妖精を信じていた

コナン・ドイルは小説で最も論理的な名探偵を生み、実際に二人のえん罪を晴らし、晩年には霊や妖精の写真を信じました。その意外な生涯をわかりやすく紹介します。

アーサー・コナン・ドイル(1859–1930年)は、シャーロック・ホームズの生みの親として知られるスコットランド生まれの医師で作家ですが、その人生はどの登場人物よりも不思議に満ちていました。 捕鯨船で北極海へ行き、戦争では志願して医師を務め、ナイトの称号を受け、ホームズさながらの調査でえん罪の二人を救い、晩年には死者との交信を熱心に信じて、のちに偽物とわかる妖精の写真まで本物だと擁護しました。 物語の中で最も論理的な頭脳を生んだ人は、別の面では目に見えないものを深く信じる人だったのです。

ばらばらになった家族と寄宿学校

ドイルはエディンバラのピカディ・プレイス11番地で、1855年に結婚したチャールズ・アルタモント・ドイルとメアリーのあいだに生まれました。 1864年、父のアルコール依存が深刻になり、一家は離ればなれになります。父は長い精神の病の末、1893年にダンフリーズの病院で亡くなりました。 少年ドイルは9歳でストーニーハーストの予備校に入り、1875年までストーニーハースト・カレッジで学んだあと、1875年から1876年にはオーストリアのフェルトキルヒにある学校でも過ごしました。

エディンバラの医学生

ドイルは1859年5月22日にエディンバラで生まれ、エディンバラ大学で医学を学んで1881年に卒業しました。 恩師の外科医ジョゼフ・ベルは、患者の小さな特徴から職業や経歴を言い当てることで有名で、ドイルは後にベルがホームズのモデルだと語っています。 学生時代には、グリーンランド近くの北極海に向かう捕鯨船で船医として働きました。

暇な診療所と忙しいペン

医師になった彼はポーツマス近くのサウスシーで開業しましたが、患者は少なく、空いた時間に小説を書きました。 こうして1887年、『緋色の研究』でシャーロック・ホームズが初めて登場します。

西アフリカ航路とウィーン

1881年、ドイルは船医として蒸気船マユンバ号に乗り、西アフリカの海岸へ向かいました。 1882年6月にポーツマスへ移ってサウスシーで開業し、1885年には脊髄癆についての論文で医学博士の学位を得ています。 1891年の初めには眼科を学ぶためにウィーンへ行きましたが、2か月ほどでやめ、3か月もたたないうちにロンドンへ戻りました。自伝によれば、ロンドンで開いた眼科の診療所もうまくいかなかったといいます。

殺そうとした主人公

ホームズは大人気になりましたが、ドイル自身は『白衣団』などの歴史小説のほうを本業だと考えていました。 1893年に彼はホームズを死なせますが、読者の声に押されて、1901年から連載された『バスカヴィル家の犬』などで復活させます。 南米の台地で生き残った恐竜に出会う冒険小説『失われた世界』(1912年)で、激しい性格のチャレンジャー教授という人気者も生みました。

スポーツ好きの作家

ドイルは体を動かすことも大好きでした。サッカーではポーツマスのクラブで「A・C・スミス」という偽名を使ってゴールキーパーを務めました。 クリケットでは1899年から1907年にかけてMCCの一流試合に10回出場し、ただ一つ奪ったウィケットが名選手W・G・グレースのもので、それを詩にまで書いています。 1894年12月号の『ストランド・マガジン』にはスキーでアルプスの峠を越えた体験記を寄せ、スイスでスキーを広めるきっかけを作りました。 ボーア戦争では1900年3月から6月までブルームフォンテーンの野戦病院で働き、同じ年に『大ボーア戦争』を書きました。1909年には、コンゴ自由国の惨状を告発する小冊子『コンゴの犯罪』も出しています。

戦争、政治、ナイトの称号

南アフリカの第二次ボーア戦争では野戦病院で志願医として働き、1902年にナイトに叙せられました。議会選挙にも二度立候補しましたが、当選はしていません。

本物の名探偵として

ドイルは事件を書くだけでなく、実際に解決もしました。動物を傷つけた罪で有罪になったインド系の事務弁護士ジョージ・エダルジと、殺人罪に問われたオスカー・スレイターの事件を自ら調べ、二人とも最終的に無実が認められています。 エダルジの事件では、彼の視力がひどく悪く夜に犯行を行うのはほぼ不可能だ、と指摘したことも知られています。まさにホームズのような推理です。

霊と妖精

第一次世界大戦で息子キングズリーをはじめ多くの身内を失ったあと、ドイルは熱心な心霊主義者になり、各地で講演して回りました。 いちばん有名な判断の誤りが「コティングリー妖精事件」です。ヨークシャーの二人の少女が妖精と一緒に写ったように見える写真を撮り、ドイルはそれを本物だと支持しました。何十年もたってから、二人は妖精が紙の切り抜きだったと認めています。 偽の霊媒を暴くことに熱心だった奇術師フーディーニとも親しくなりましたが、心霊主義をめぐって公然と決裂しました。

1930年7月7日、ドイルはクロウバラの自宅で心臓発作のため亡くなりました。 物語では証拠を重んじ、人生では霊を信じたという矛盾こそが、この作家をとても人間らしく見せています。

二度の結婚と五人の子ども

ドイルは1885年にルイーザ・ホーキンズと結婚しましたが、結核を患っていた彼女は1906年に亡くなりました。 翌1907年にはジーン・レッキーと再婚しています。 子どもは五人で、長女メアリー(1889年生まれ)、長男キングズリー(1892–1918年)、そして再婚後にデニス、エイドリアン、ジーンが生まれました。 1930年に亡くなったドイルは、7月11日にまず自宅ウィンドルシャムのばら園に葬られ、のちにハンプシャー州ニューフォレストのミンステッド教会の墓地に妻とともに改葬されました。

コナン・ドイルで覚える日本語表現

表現 意味 例文
まんまとだまされる すっかりだまされる 多くの人が写真にまんまとだまされた。
百聞は一見にしかず 聞くより見るほうが確か 百聞は一見にしかずだが、写真はうそをつく。
ぬれぎぬを晴らす えん罪を明らかにする 彼は二人のぬれぎぬを晴らした。
袂を分かつ 関係を断って別れる 二人は心霊主義をめぐって袂を分かった。
似ても似つかない まったく違う 晩年の信念はホームズの論理と似ても似つかない。

練習問題: ネットで「まんまとだまされた」経験を思い出し、「百聞は一見にしかず」「似ても似つかない」を使って三文で書いてみましょう。

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