ハリエット・タブマンは何をした人?「地下鉄道」で奴隷を逃がした女性の実像
ハリエット・タブマンは奴隷制から逃れたあと南部へ何度も戻り、人々を自由へ導いた女性。救出人数の誤解や南北戦争での活躍までやさしく解説します。
ハリエット・タブマンは、アメリカ南部で奴隷として生まれ、自ら北部へ逃れたあと、何度も南部へ戻って家族や仲間を自由へ導いた女性です。奴隷の逃亡を助ける秘密のネットワーク「地下鉄道」の「車掌」として、南部と北部を行き来しました。 南北戦争では北軍の看護師、斥候、スパイとして働き、700人以上の奴隷を解放した作戦にも加わりました。 人々を約束の地へ導いた預言者にちなんで、「モーセ」とも呼ばれています。
アラミンタという名の少女
本名はアラミンタ・ロスで、メリーランド州ドーチェスター郡で奴隷の両親のもとに生まれました。生まれた年ははっきりせず、1822年ごろとされますが、1815年や1825年などの説もあります。 主人は彼女の姉たちのうち三人をよそへ売ってしまい、家族は二度と会えませんでした。
10代のころ、監督が勝手に持ち場を離れた男に向かって約1キロの金属のおもりを投げつけ、それが彼女の頭に当たりました。手当てもされず二日間放っておかれた彼女は、その後一生、頭痛や発作、突然眠りこむ症状に苦しみます。同時に、神からのお告げだと信じる幻を見るようになりました。 1844年ごろ、自由黒人のジョン・タブマンと結婚し、まもなく名前をハリエットに改めます。
ひとりで北へ
主人が亡くなり、売られる恐れが出てきたため、彼女は1849年秋に北部へ逃げました。最初は兄弟二人と出発しましたが、兄弟が引き返したので一度は一緒に戻り、そのあと一人で再び逃げたのです。 クエーカー教徒など地下鉄道の協力者に助けられ、夜の道を約145キロ歩いてペンシルベニアに着いたと考えられています。自由の土地に入ったとき「自分の手を見て、同じ人間かどうか確かめた」と、のちに語っています。
本当は何人を救ったのか
よく「300人を救った」と言われます。自伝に近い初期の伝記には約19回・300人余りと書かれていますが、研究者ケイト・ラーソンは13回・70〜80人ほどと見積もっています。 数字は伝説より小さいものの、一回ごとに追っ手の目をくぐって何百キロも夜道を歩く旅でした。彼女はのちに「一人の乗客も失わなかった」と言っています。
彼女のやり方は賢く、慎重でした。夜が長い冬に動き、新聞が逃亡奴隷の広告を月曜まで載せないので土曜の夜に出発し、身を守るために拳銃を持ち、歌詞を変えた黒人霊歌を合図に使いました。 1850年に逃亡奴隷法ができて北部でも捕まる危険が高まると、カナダまで人々を導くようになり、1857年には年老いた両親をカナダのセントキャサリンズへ連れ出しました。
「4万ドルの懸賞金がかけられていた」という話も有名ですが、当時の記録はなく、歴史家は作り話と見ています。
ジョン・ブラウンと「タブマン将軍」
1858年、彼女は奴隷制に武力で立ち向かおうとしていた白人の運動家ジョン・ブラウンと出会います。ブラウンは彼女の勇気に感心し、「タブマン将軍」と呼びました。 彼女は1859年のハーパーズ・フェリー襲撃の計画と仲間集めを手伝いましたが、病気のため当日は現場にいませんでした。 同じ1859年、彼女は上院議員ウィリアム・スワードからニューヨーク州オーバーンの小さな土地を1200ドルで買い、カナダにいた両親をそこへ呼び寄せました。 北部の有名な奴隷制反対論者フレデリック・ダグラスも、自分が昼に働いていたのに対し、彼女は夜の闇の中で働いてきたと書いて、その勇気をたたえました。
コンバヒー川の作戦
南北戦争が始まると、彼女は北軍のために料理、看護、斥候、スパイの仕事をしました。 1863年6月1日から2日にかけて、北軍の船がサウスカロライナ州のコンバヒー川をさかのぼりました。乗っていたのはジェームズ・モンゴメリー大佐が率いる黒人部隊で、タブマンは作戦の計画を助け、地域の情報を伝えました。 船が近づくと、奴隷にされていた人々が岸へ駆け寄り、750人以上が自由の身になりました。 この作戦は、女性が率いたアメリカ初の武装作戦とされています。
晩年と残したもの
戦後はニューヨーク州オーバーンで暮らし、1869年に退役軍人のネルソン・デービスと再婚しました。女性参政権運動にも加わり、スーザン・B・アンソニーらとともに演説しました。 戦時の働きに対する補償をなかなか認めてもらえず、年金が出たのは最初の申請から34年後の1899年でした。 1908年、オーバーンに高齢者と貧しい人のための施設を開き、1913年3月10日、肺炎で亡くなりました。 夫婦は1874年にガーティという女の子を養女に迎えています。施設は1896年に彼女が自宅の隣に買った約10ヘクタールの農地から始まり、建物の一つには友人の名をとって「ジョン・ブラウン・ホール」と名づけられました。亡くなる直前、彼女はヨハネによる福音書の「わたしはあなたがたのために場所を用意しに行く」という言葉を口にしたと伝えられ、オーバーンのフォートヒル墓地に半ば軍葬の礼をもって葬られました。
2016年には新しい20ドル紙幣の肖像に選ばれたと発表されましたが、その後延期と再開をくり返し、2026年7月に財務長官が計画の凍結を表明しました。 紙幣に載るかどうかに関係なく、彼女の名前は勇気と自由の象徴として語り継がれています。
ハリエット・タブマンで覚える日本語表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 命がけ | 命を失う危険をおかして | 彼女は命がけで仲間を導いた。 |
| 闇にまぎれる | 暗さを利用して人目を避ける | 一行は闇にまぎれて北へ向かった。 |
| 道を切り開く | 困難を乗り越えて進む道をつくる | 彼女は自由への道を切り開いた。 |
| 話に尾ひれがつく | 話が実際より大きくなる | 救出人数の話には尾ひれがついた。 |
| 不屈の精神 | どんな困難にも負けない心 | 不屈の精神で戦い続けた。 |
練習問題: 「命がけ」「道を切り開く」を使って、あなたが尊敬する人について三文で書いてみましょう。