ミゲル・イダルゴとはどんな人?「ドローレスの叫び」でメキシコ独立を始めた神父

「メキシコ独立の父」ミゲル・イダルゴは、1810年に村の神父として「ドローレスの叫び」を上げ、独立戦争を始めました。生涯、蜂起、処刑、その後の評価を解説します。

ミゲル・イダルゴ(1753年5月8日–1811年7月30日)は、メキシコ独立運動の初期の指導者です。独立闘争の途中で捕らえられて処刑されましたが、「メキシコ独立の父」として評価されています。 1810年9月16日、ドローレス村の神父だった彼は、村人に蜂起を呼びかける演説「ドローレスの叫び」を行い、これがメキシコ独立戦争の始まりになりました。 今もメキシコの独立記念日は9月16日です。 正式な名前はとても長く、ふつうはミゲル・イダルゴ、またはミゲル・イダルゴ・イ・コスティージャと呼ばれます。

進歩的な学長

イダルゴは1753年、メキシコのグアナフアト州ペンハモ近くの農場で、その管理人の子として生まれました。植民地生まれの白人、いわゆるクリオーリョです。 1765年から地域の中心都市バリャドリッド(今のモレリア)に移り、イエズス会の学校、イエズス会が追放された1767年以降は聖ニコラス校で神学を中心に学びました。 そこではラテン語だけでなく、フランス語や先住民の言語も学び、ヨーロッパの新しい思想に関心を持つと同時に、子どもの頃に農場で一緒に暮らした先住民や混血の人々への愛情を育てました。 頭の回転が速く、学生時代には「キツネ」というあだ名で呼ばれていました。

1778年に司祭となったあとも母校で教え、1790年には学長として教育改革に力を注ぎました。しかし1792年に学長を辞めています。理由ははっきりしませんが、学校の財政赤字、改革への保守派の反発、何人かの女性との関係、賭け事好きなどが挙げられています。

「小さなフランス」と呼ばれた司祭館

その後、いくつかの教区の司祭を務め、やがてドローレス村の司祭になります。彼の家ではフランス文学が議論され、演劇や音楽、ダンスが披露されたので、「小さなフランス」と呼ばれるようになりました。 本で学んだ知識を生かして、陶芸、皮革加工、養蚕などの事業も進めました。凶作が続いて貧しい人々の暮らしが苦しくなるなかで、先住民や混血の人が多い教区の住民の生活をよくしようとしたのです。 ところが、本国スペインと競合するブドウやオリーブの栽培などは植民地の法律で禁じられ、彼は活動をやめるよう命じられました。

「ドローレスの叫び」とは

1808年、ナポレオン軍がスペイン本国に攻め込み、国王を退位させて兄ジョゼフ・ボナパルトを王にすると、メキシコでも自治を求める動きが起こりました。イダルゴは知り合いのイグナシオ・アジェンデに誘われ、近くのケレタロ市のクリオーリョたちの集まりに加わります。彼らはひそかに武装蜂起を計画しましたが、計画は事前にもれて、仲間が次々に逮捕されました。

その知らせが1810年9月16日の深夜にドローレス村に届くと、イダルゴは演説を行い、先住民や混血の人々を中心とする周辺の住民を率いて立ち上がりました。演説の正確な内容は伝わっていませんが、ナポレオンの支配と植民地政府を批判し、幽閉されたフェルナンド7世の復位を求め、カトリックを守ることも訴えたようです。一般に演説の言葉と信じられている「ガチュピン(スペイン出身者の蔑称)に死を!」は、のちに付け加えられた可能性が高いとされています。 彼は途中の教会でグアダルーペの聖母の絵を槍に掲げ、旗印にしました。

階級闘争になった反乱

貧しい人々が大勢加わると、人頭税や奴隷制の廃止、土地改革といった要求が掲げられるようになりました。グアナフアト攻略では、本国出身者だけでなく地元のクリオーリョも含む裕福なスペイン系住民が殺され、反乱は独立運動というより、貧しい人々による富裕層への階級闘争の性格を帯びていきます。そのため多くのクリオーリョが反乱軍を支持しませんでした。

反乱軍は一時10万人ほどにふくれ上がり、メキシコシティのすぐ近くまで迫りましたが、イダルゴは首都を攻めずに引き返しました。理由は今も議論されています。 1811年1月、カルデロン橋の戦いで訓練された王党派軍に大敗し、イダルゴとアジェンデの意見も対立するようになります。アメリカ合衆国への逃亡を図ったイダルゴは1811年に捕らえられ、チワワでアジェンデら3人の仲間とともに銃殺され、首はさらされました。

処刑とその最期

カルデロン橋の戦いでは、イダルゴの軍は8万から10万人、大砲95門を持っていましたが、よく訓練された約6,000人の王党派軍に決定的に敗れました。 捕らえられたイダルゴは司祭の資格を奪われ、軍事法廷で反逆罪とされました。処刑の前、親切にしてくれた2人の看守に礼を言い、「私は死んでも永遠に記憶されるが、おまえたちはすぐに忘れられるだろう」と語ったと伝えられます。 彼とアジェンデらの首は、グアナフアトの穀物倉庫アルホンディガ・デ・グラナディータスの四隅に、独立戦争が終わるまでの10年間さらされました。遺骨は1824年にメキシコシティへ移されています。

その後の評価

メキシコの独立が実現したのは1821年で、最初の国家元首になったのはイダルゴではなくイトゥルビデでした。それでも、のちの政府は自由主義者のイダルゴを高く評価し、彼が叫びを上げた1810年9月16日を正式な独立記念日にしました。 独立後、ドローレスの町は彼をたたえてドローレス・イダルゴと改称され、イダルゴ州も彼の名にちなんでいます。メキシコの1000ペソ紙幣にも肖像が使われています。

ミゲル・イダルゴで学ぶ日本語表現

表現 意味 例文
立ち上がる 行動を起こす、反抗する 村人たちは神父と共に立ち上がった。
旗印にする 行動の目標や象徴にする 彼は聖母の絵を旗印にした。
先手を打つ 相手より先に行動する 計画がもれたので先手を打った。
志半ば 目的を果たす前に イダルゴは志半ばで倒れた。
道を開く 後の人のために可能にする 彼の蜂起が独立への道を開いた。

練習: 「立ち上がる」と「道を開く」を使って、自分の国の歴史上の出来事について三つの文を書いてみましょう。

ミゲル・イダルゴで外国語を学ぶ

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