リチャード3世とは何をした人?ヨーク朝最後の王の生涯と、駐車場から見つかった遺骨を年表でたどる
リチャード3世はヨーク朝最後のイングランド王(在位1483〜1485年)。ボズワースの戦いで戦死しました。生涯、悪人像と再評価、遺骨発見を年表で整理し、自作の練習問題も添えます。
結論:ヨーク朝最後のイングランド王
リチャード3世は、ヨーク朝最後のイングランド国王で、在位は1483年から1485年です。1452年10月2日に生まれ、1485年8月22日に没しました。即位前にはグロスター公に叙されていました。ボズワースの戦いで戦死し、これにより薔薇戦争は実質的に終結しました。戦死した最後のイングランド王でもあります。
評価が一つに定まらない王でもあります。2002年、BBCの「100名の最も偉大な英国人」でリチャード3世は82位に選ばれました。この記事では、生涯、悪人像、遺骨の発見という順に、確かな点を整理します。最後に、自作の練習問題も一つ用意しました。
兄王のもとで育った青年期
幼くして父を失ったリチャードは、兄エドワードやウォリック伯リチャード・ネヴィルの庇護を受けて成長しました。1461年には兄がエドワード4世として即位し、リチャードはグロスター公に叙位されました。1470年には、そのエドワード4世がウォリック伯によって追放されます。翌1471年、リチャードは兄王の復位に貢献しました。
1472年、リチャードはウォリック伯の娘アン・ネヴィルと結婚しました。庇護を受けた相手の娘が、のちに王妃となるアン・ネヴィルです。年表に並べると、追放と復位の翌年に結婚があったことがわかります。兄王や王妃との関係を書き出すと、人物の動きが追いやすくなります。
1483年、護国卿から国王へ
1483年にエドワード4世が病死すると、リチャードはエドワード5世の摂政(護国卿)に就任しました。同年6月26日、リチャードはエドワード5世の正統性を否定した議会に推挙されて即位しました。年表では、兄王の死、護国卿への就任、即位がこの一年に続けて並びます。日付つきで覚えるなら、6月26日が即位日です。
エドワード5世とその弟は、ロンドン塔に幽閉された後に消息不明となりました。殺されたと考えられていましたが、近年では生存説も主張されています。つまり二人の最期は、今も一つの答えに固まっていません。本記事でも、二人の最期については断定しません。
紋章院の創設と、相次ぐ喪失
1484年1月、リチャード3世は王直属の機関として紋章院を創設しました。旗印は白い猪で、銘は「忠誠がわれを縛る」という意味のものです。銘の原文は手元の資料で確認できないため、ここでは意味だけを書きます。旗印と銘の意味を調べ、忠誠をどう表した言葉なのかを書き留めてみるのもよいでしょう。
1484年4月に一人息子のエドワード・オブ・ミドルハムが夭折し、1485年3月には王妃アン・ネヴィルも病死しました。同じ1485年の8月、リチャード3世はリッチモンド伯ヘンリー・テューダーとのボズワースの戦いで、味方の裏切りに遭い敗死しました。1484年から1485年にかけて、家族の死と自身の戦死が続く年表になっています。出来事を月ごとに並べ直すと、流れがつかみやすくなります。
悪人像はどこから来たのか
シェイクスピアの戯曲『リチャード三世』では、リチャード3世は残忍で醜い悪人として描かれました。「リカーディアン」と呼ばれる歴史愛好家たちは、その悪名はテューダー朝によるものだとして名誉回復を図っています。ただしこれは愛好家たちの解釈であり、確定した事実ではありません。戯曲の人物像と史料に基づく評価を分けて記録すると、違いが見えてきます。
ジョセフィン・テイの推理小説『時の娘』(1951年)は、リチャード3世の甥殺しを冤罪とする再評価のきっかけになりました。戯曲も推理小説も創作であり、史実と同じ重みで読むものではありません。感想文にまとめるなら、どの作品がどんなイメージを作ったかを自分の言葉で書き分けてみましょう。作品名と刊行年をメモしておくと、年表にも書き込みやすくなります。
駐車場の下から見つかった遺骨
2012年9月5日、レスターの駐車場の下から遺骨が発見され、2013年2月に本人のものと断定されました。年表では、2013年2月が断定の時期として記録されています。発見の日付と断定の月を分けて書き留めておくと、混同しません。2012年と2013年のどちらが何の年なのか、確認しておきましょう。
遺骨の分析で、リチャード3世は青い目で金髪だった可能性が高いという結果が出ています。遺骨の頭蓋骨には戦闘で受けたとみられる複数の傷があり、致命傷は2か所と考えられています。「可能性が高い」「とみられる」「考えられている」は、断定を避ける言い回しです。分析結果は、書物の描写とは別の手がかりとして読むことができます。
2015年3月26日、遺骨はレスター大聖堂に再埋葬されました。年表では、この再埋葬が最後の出来事として並びます。遺骨の発見は、科学的調査が歴史理解にどう影響したかを考える題材になります。発見の経緯を読み、わかったことと推定にとどまることを分けて書き出してみましょう。
練習問題:年表の一文を英語にしてみる
ここからは自作の練習問題です。実際の発言や出典の文ではなく、この記事の事実を使って作った例文です。次の日本語を英語にしてみましょう。「リチャード3世は戦死した最後のイングランド王です。」ヒントは、すでに亡くなった人物の話なので過去形を使う点です。
例答の一例は、Richard III was the last English king to be killed in battle. です。ほかの言い方でも構いません。解説すると、was は過去の事実を述べる形で、last は「最後の」を表します。「戦死した」は killed in battle と言い換えられます。
次に、年表から好きな一年を選び、同じように英語で一文を書いてみましょう。ほかの言語で書いても構いません。書いた日付を記録に残すと、毎日少しずつ学習を続ける習慣を作りやすくなります。