白鳥の湖の初演はなぜ失敗したのか?チャイコフスキーの生涯と名曲の逆転劇
1877年の白鳥の湖初演は「交響的すぎる」と酷評されました。遅咲きの作曲家チャイコフスキーの生涯と、名曲が評価を覆すまでを解説します。
チャイコフスキーのバレエ『白鳥の湖』は、1877年3月4日にモスクワのボリショイ劇場で初演されましたが、評判は散々でした。批評家は音楽を「騒々しすぎ、ワーグナー的すぎ、交響的すぎる」と評し、振付も印象に残らないと切り捨てたのです。 つまり失敗の理由は、バレエ音楽を「踊りの伴奏」ではなく本格的な音楽として書いたことにありました。そして今、まさにその点こそが世界中で愛されている理由です。
法律学校出身の「遅咲き」作曲家
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーは1840年5月7日、ウラル地方の工業都市ヴォトキンスクで、製鉄所を管理する鉱山技師の家に生まれました。 5歳でピアノを始めましたが、家族は彼を役人にするつもりでした。1850年、故郷から約1,300キロ離れたサンクトペテルブルクの帝室法律学校に送られ、卒業後は法務省で約3年働いています。14歳のときには母をコレラで亡くしました。
音楽の道に本格的に進んだのは1862年、22歳のとき。新設されたサンクトペテルブルク音楽院でアントン・ルビンシテインに作曲を学び、1865年にはその弟ニコライ・ルビンシテインに招かれてモスクワ音楽院の理論教師になりました。
『白鳥の湖』はどう生まれ変わったか
『白鳥の湖』は1875年5月にボリショイ劇場のベギチェフから800ルーブルで依頼され、翌1876年4月までに完成しました。 初演は不評でしたが、それでも6年間で41回上演されています。
転機が来たのは作曲者の死後です。1895年、マリウス・プティパとレフ・イワノフがサンクトペテルブルクで新演出を手がけ、楽譜はリッカルド・ドリーゴが改訂しました。現在、ほとんどのバレエ団がこの1895年版をもとに上演しており、『白鳥の湖』は史上最も人気のあるバレエの一つになりました。
結婚の破綻と「会わないパトロン」
1877年、37歳のチャイコフスキーは元教え子アントニーナ・ミリュコーワと結婚しますが、約2か月半で破綻しました。 伝記作家の多くは彼が同性愛者だったと考えており、ソ連時代にはこの話題が抑圧されました。
同じ年、鉄道王の未亡人ナジェジダ・フォン・メックがパトロンとなり、1877年から1890年まで経済的に支えました。二人は一度も直接会わなかったことで知られています。 この支援のおかげで教職を離れ、オペラ『エフゲニー・オネーギン』、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第4番に取り組むことができました。
酷評された名曲たち
不評から始まったのは『白鳥の湖』だけではありません。ピアノ協奏曲第1番は友人ニコライ・ルビンシテインに最初は拒まれ、ヴァイオリン協奏曲も名手アウアーに当初断られました。ウィーンの批評家ハンスリックに至っては、ヴァイオリン協奏曲を「悪臭が聞こえる」音楽と書いています。 どちらも今では演奏会の定番です。
『くるみ割り人形』と最後の交響曲
『くるみ割り人形』は1892年12月18日、マリインスキー劇場でオペラ『イオランタ』と二本立てで初演されましたが、これも成功とは見なされませんでした。 人気に火がついたのはアメリカで、1954年のバランシン版をきっかけにクリスマスの定番となり、大手バレエ団の年間チケット収入の約4割を稼ぐと言われます。
1893年、彼は交響曲第6番『悲愴』を完成させ、同年11月6日にサンクトペテルブルクで亡くなりました。公式の死因はコレラですが、1980年代以降は自殺説も唱えられています。研究者ワイリーは「チャイコフスキーがどう死んだのかはわからない。永遠にわからないかもしれない」と述べており、決着はついていません。
ロシアと西欧のあいだで
チャイコフスキーは、西欧式の音楽院教育を受けた最初期のロシア人作曲家の一人でした。そのため、バラキレフらの民族主義的なグループ「ロシア五人組」とは距離を置きつつも、友好的な関係を保ち、幻想序曲『ロメオとジュリエット』ではバラキレフの助言を受けています。 ロシア国内では「西欧的すぎる」と言われ、ヨーロッパでは「ロシアらしさを超えた」と評価されるなど、その立ち位置は常に議論の的でした。
1887年からは自作を指揮してロシアとヨーロッパを回り、1891年にはアメリカに渡ってニューヨークのカーネギーホールのこけら落としで指揮台に立ちました。1893年にはケンブリッジ大学から名誉博士号を受けています。
なぜ今も愛されるのか
研究者ワイリーによれば、フォン・メックの支援のおかげで、チャイコフスキーはロシアで初めての「専業のプロ作曲家」になりました。また英米での人気はベートーヴェンに次ぐほどだといいます。 理由はシンプルで、誰でも口ずさめる長い旋律を、繰り返しながら少しずつ高めていき、聴き手の感情を大きく揺さぶるからです。初演で失敗しても、時間が評価を覆す。チャイコフスキーの名曲の歩みは、語学を学ぶ私たちにも「最初の結果で諦めなくていい」と教えてくれます。
チャイコフスキーで学ぶ日本語表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 酷評される | ひどく悪く批評される | 初演は批評家に酷評された。 |
| 遅咲き | 人より遅れて才能が開くこと | 彼は遅咲きの作曲家だった。 |
| 評価を覆す | それまでの評価を逆転させる | 名演がその曲の評価を覆した。 |
| 〜をきっかけに | 何かが始まる原因として | 留学をきっかけに音楽を始めた。 |
| 胸を打つ | 深く感動させる | 最後の旋律が胸を打つ。 |
練習しよう: 『白鳥の湖』の有名な旋律を聴いて、「〜をきっかけに」と「胸を打つ」を使った日本語の文を2つ作ってみましょう。