コロンブスは地球が丸いと知っていた?1492年の航海の本当の誤算

コロンブスは地球が丸いと知っていた?1492年の航海の本当の誤算

当時の教養あるヨーロッパ人は地球が丸いことを知っていました。コロンブスの誤りは地球の大きさで、彼はアジアに着いたと信じ続けました。

はい、知っていました。クリストファー・コロンブスは、当時の教養あるヨーロッパ人と同じく地球が丸いことを知っており、「地球が平らでないことを証明するために西へ航海した」という話は後の時代につくられた神話です。 本当の争点は地球の「大きさ」でした。コロンブスは地球の大きさとヨーロッパからアジアまでの距離を小さく見積もっていたため、専門家たちは計画を疑ったのです。 計算は間違っていましたが、ヨーロッパが知らなかった二つの大陸が途中にあったおかげで、彼は生き延びました。

ジェノヴァの船乗り

コロンブスは1451年の8月末から10月末のあいだに、今のイタリアにあったジェノヴァ共和国で生まれました。 15世紀、香辛料や絹などの高価な品はアジアから長く費用のかかる道を通って届いていました。ポルトガルはアフリカを回る航路を探していましたが、コロンブスは大西洋を西へ渡って東インドに直接行く「近道」を提案しました。

毛織物職人の息子、難破から始まった海の人生

コロンブスの父ドメニコ・コロンボは毛織物の職人で、母はスザンナ・フォンタナロッサといいました。兄弟にはバルトロメオ、ジョヴァンニ・ペッレグリーノ、ディエゴとも呼ばれたジャコモがおり、妹のビアンキネッタもいました。 1476年8月、彼の乗った船はポルトガル南部のラゴス沖で難破し、これをきっかけにポルトガルで暮らすことになります。 1479年にはフィリパ・モニス・ペレストレロと結婚し、1479年か1480年に長男ディエゴが生まれました。フィリパは1484年に亡くなり、のちに1488年7月、ベアトリス・エンリケス・デ・アラナとのあいだに次男フェルナンドが生まれています。 大西洋に面した航海の先進国ポルトガルで暮らした年月が、西へ向かう計画を育てたのです。

4,400キロという計算

西回りでアジアへ行くという考えは、コロンブスだけのものではありませんでした。1474年、フィレンツェの天文学者トスカネッリが西への航海を提案しましたが、ポルトガル王アフォンソ5世はこれを退けています。コロンブスは1481年にトスカネッリに手紙を書き、励ましの返事を受け取ったと伝えられています。 コロンブスは、カナリア諸島から西へ日本までの距離を約2,400海里、およそ4,400キロと見積もりました。実際の距離は約10,600海里、およそ19,600キロもあります。 4倍以上も近く見積もっていたわけで、途中にアメリカ大陸がなければ、船団は確実に海の上で力尽きていたでしょう。

専門家が反対した理由

ポルトガルはこの計画を退けました。 世界の端から落ちるのを恐れたわけではありません。古代ギリシア以来、学者たちは地球が球体だと知っており、中世の教養人にとっても常識でした。 反対の理由は計算です。専門家は地球の大きさをかなり正確に見積もり、西回りではアジアは遠すぎて当時の船では食料も水も持たないと考えました。コロンブスは地球を小さく、アジアを大きく見積もることで、航海を可能に見せていたのです。

1492年10月12日

何年もの働きかけの末、1492年にスペインのカトリック両王、カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世が支援を決めました。 同年8月、ニーニャ号、ピンタ号、サンタ・マリア号の3隻でパロス港を出発し、 10月12日、住民がグアナハニと呼ぶバハマの島に到着しました。 アジアの近くに着いたと信じた彼は、住民を「インディオ(インド人)」と呼び、この呼び名は何世紀も残りました。

サンタフェの契約とクリスマスの座礁

1492年4月に結ばれた「サンタフェ協約」で、コロンブスは「大洋の提督」の称号と、新しい土地の副王・総督の地位を約束されました。さらにその土地から上がる収入の10分の1を永久に受け取り、商売に8分の1を出資して利益の8分の1を得る権利も認められています。 最初の航海では、1492年12月25日に旗艦サンタ・マリア号が座礁して放棄され、コロンブスは今のハイチにあたる場所に「ラ・ナビダ」という拠点を築いて39人を残しました。 1493年9月24日には、17隻と1,500人近くを率いてカディスから二度目の航海に出ますが、戻ってみるとラ・ナビダは廃墟になっており、今のドミニカ共和国にラ・イサベラを新たに築きました。 1498年の三度目の航海ではトリニダード島と南アメリカ大陸の北岸に達しています。

4回の航海と頑固な思い込み

1492年から1504年までにスペインのために4回大西洋を渡り、カリブ海や中南米とヨーロッパの初めての接触をもたらしました。 それでも彼はアジアに着いたと信じ、その考えをはっきり捨てることはありませんでした。 新しい大陸だと気づいたのは別の航海者や地図製作者で、「アメリカ」という名もその一人アメリゴ・ヴェスプッチに由来します。

総督から囚人へ、そして評価の変化

イスパニョーラ島の総督となった彼は残虐な統治を非難され、1500年に逮捕されて職を解かれました。 1506年5月20日、スペインのバリャドリッドで亡くなっています。 彼の航海は「コロンブス交換」と呼ばれる東西世界の動植物や病気の行き来と、ヨーロッパによるアメリカ植民地化の始まりでした。今の歴史家は先住民が受けた被害をより重く見ており、かつてのように英雄として讃えられることは少なくなりました。

コロンブスで覚える日本語表現

表現 意味 例文
船出する 新しいことを始める 新しい会社が今日船出した。
見積もりが甘い 予想が楽観的すぎる 時間の見積もりが甘かった。
思い込み 根拠なく信じていること それはただの思い込みだった。
コロンブスの卵 知ってしまえば簡単だが最初に思いつくのは難しいこと その発想はまさにコロンブスの卵だ。
未知の世界 まだ知らない領域 留学は未知の世界への一歩だった。

練習問題: 旅行や試験、仕事などで「見積もりが甘かった」経験を、「思い込み」「未知の世界」も使って三文で書いてみましょう。

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