クレオパトラは本当に美人だったのか?多言語を操った最後の女王

クレオパトラは本当に美人だったのか?多言語を操った最後の女王

古代の伝記作家プルタルコスは、クレオパトラの魅力を容姿より人柄と機知に見ました。エジプト語を学んだ初の女王の生涯と、謎の多い最期を解説します。

「世界三大美女」として知られるクレオパトラですが、古代の記録が強調しているのは、実は容姿よりも人柄と話術です。彼女の生涯を最も詳しく伝える伝記作家プルタルコスは、その魅力を際立った美しさではなく、強い個性と機知に富んだ会話に見ていました。 同時代の硬貨に刻まれた横顔も、父王に似た力強く、むしろ男性的な顔立ちです。 「絶世の美女」は後世の伝説で、「何か国語も話す切れ者の女王」のほうが史実に近い姿だと言えそうです。

ギリシア系の王朝に生まれて

クレオパトラ7世は紀元前51年から前30年までエジプトを治めた、プトレマイオス朝最後の実質的な支配者です。一族はもともとエジプト人ではなく、アレクサンドロス大王の部将だったマケドニア出身のプトレマイオス1世の子孫でした。 名前はギリシア語で「父の栄光」を意味します。紀元前70年か69年ごろ、父プトレマイオス12世のもとに生まれ、紀元前51年の父の死の前に後継者に指名されていました。

民の言葉を学んだ女王

語学学習者にとって最も興味深いのはここです。クレオパトラの母語はコイネー・ギリシア語でしたが、彼女はプトレマイオス朝の支配者として初めてエジプト語を学んだことが知られています。さらにプルタルコスによれば、ラテン語を含むいくつもの言語を話したといいます。 約300年にわたってギリシア語を話す王が続いたあとで、治める人々の言葉を学んだ女王だったのです。

弟との争いとカエサル

即位したばかりの女王を待っていたのは、干ばつとナイル川の増水不足による飢饉でした。 弟との争いに敗れると、彼女はアレクサンドリアを追われてテーベの地方へ退き、前48年の春までには妹アルシノエ4世とともにローマ領シリアへ渡って、侵攻のための軍を集めました。 前48年9月28日には、エジプトに逃れてきたポンペイウスがペルシオン近くで待ち伏せされて刺殺され、プトレマイオス13世はその首をカエサルに送っています。 プルタルコスは、クレオパトラが寝具袋に包まれて王宮にひそかに運び込まれ、カエサルに会ったと伝えていますが、カッシウス・ディオは彼女が自分でアレクサンドリアに来たと書いており、話は一致しません。 妹アルシノエはのちにローマでのカエサルの凱旋式で見せ物にされ、エフェソスのアルテミス神殿へ追放されました。

プトレマイオス朝の政治は家族間の争いそのものでした。クレオパトラは最初、弟プトレマイオス13世と共同で統治しましたが、仲たがいから内戦になります。紀元前48年、ローマの将軍ポンペイウスがエジプトで殺され、続いてやって来たユリウス・カエサルはクレオパトラとともにアレクサンドリアの王宮で包囲されました。 プトレマイオス13世は前47年に戦死し、カエサルはクレオパトラともう一人の弟プトレマイオス14世を共同統治者に据えます。クレオパトラはカエサルとの間に息子カエサリオンをもうけました。

クレオパトラはローマの同盟国の女王として、前46年と前44年にローマを訪れています。硬貨に見られる「メロン」型の髪形は、この訪問のあとローマの流行に敏感な女性たちとも結びつけられるようになりました。 カエサル暗殺後、弟プトレマイオス14世は急死します。彼女の命令によるものだった可能性もあり、その後クレオパトラは幼い息子カエサリオンを共同統治者にしました。

アントニウスとの同盟

カエサルが前44年に暗殺されたあと、クレオパトラは前41年にタルソスでマルクス・アントニウスと出会い、二人は関係を結んで3人の子どもをもうけます。 前34年の「アレクサンドリアの寄贈」と呼ばれる式典では、女神イシスの装いで「諸王の女王」と宣言され、子どもたちには各地の統治権が与えられました。ローマのオクタウィアヌスはこれを反逆として宣伝に利用します。

アクティウムの海戦と最期の謎

前31年9月2日のアクティウムの海戦で、クレオパトラは艦隊の後方で60隻を率いていましたが、戦いの途中で撤退し、アントニウスもそれを追いました。 翌年オクタウィアヌスがエジプトに侵攻し、アントニウスは自害します。

クレオパトラは前30年8月12日、39歳で亡くなりました。毒蛇に自分をかませたという話が有名ですが、古代の記録は一致していません。歴史家カッシウス・ディオは針で毒を注入したと書き、地理学者ストラボンは毒の軟膏を挙げています。遺体のそばに蛇は見つからず、腕には針の跡のような小さな傷があったといいます。 はっきりしているのは理由のほうで、ローマの凱旋式で捕虜として見せ物にされることを避けるためでした。 その後エジプトはローマの属州となり、アレクサンドロス大王の死(前323年)から続いたヘレニズム時代は終わりを迎えます。 子どもたちの運命も分かれました。カエサルの息子として王位を主張しうるカエサリオンは処刑され、娘クレオパトラ・セレネはのちにユバ2世と結婚して、北アフリカのマウレタニアの統治者となりました。

伝説の女王として

ローマの歴史家や詩人はクレオパトラを危険な誘惑者として描き、その見方は中世やルネサンスの文学に受け継がれました。 のちにシェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』や、エリザベス・テイラー主演の1963年の映画『クレオパトラ』などが彼女の物語を語り直しています。 けれども史実のクレオパトラは、単なる「運命の女」ではありません。ローマという二人の巨人のあいだで、外交と同盟、そして言葉の力を使って古い王国の独立を守ろうとした統治者でした。

クレオパトラで学ぶ日本語表現

人を引きつける力や評判について話すときに使える日本語を5つ紹介します。

表現 意味 例文
話がうまい 話し方が上手で人を引きつける 彼女は話がうまくて、誰とでもすぐ仲良くなる。
人を引きつける 魅力で人の心をとらえる 彼の笑顔は人を引きつける。
手を組む 協力関係を結ぶ 二つの会社が手を組んだ。
一枚上手 相手より能力が少し上 交渉では彼女のほうが一枚上手だった。
歴史に名を残す 後の時代まで覚えられる 彼は歴史に名を残す発明をした。

練習してみましょう: あなたがクレオパトラだと想像して、友だちに一緒に外国語を学ぼうと誘う文を、表の表現を2つ以上使って3文の日本語で書いてみてください。

이 인물로 언어 배우기

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