『ファウスト』だけではないゲーテ:詩人・大臣・科学者としてドイツ語を形づくった人
ゲーテ(1749–1832年)は『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』を書き、ワイマールの政務を担い、植物や色彩も研究したドイツ文学の巨人です。生涯と作品を紹介します。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749–1832年)は、ドイツ文学で最も偉大な人物とされる作家であり、多方面に通じた知識人です。小説『若きウェルテルの悩み』(1774年)でほとんど一夜にして有名になり、二部からなる戯曲『ファウスト』を書き、長年ワイマール公国の高官を務め、植物学や色彩論にも本気で取り組みました。 ドイツ語の世界では英語圏のシェイクスピアに近い存在で、ドイツの国際文化機関「ゲーテ・インスティトゥート」も彼の名を冠しています。
フランクフルトでの恵まれた少年時代
ゲーテは1749年、当時は神聖ローマ帝国の自由都市だったフランクフルトの裕福な家に生まれました。法律を学んだ父は家の財産で暮らし、子どもたちを自ら教育しました。 少年ゲーテは絵を描くのが好きでしたが、やがて文学に夢中になり、ホメロスや詩人クロプシュトックを読みました。 1765年から1768年までライプツィヒ大学で法律を学びましたが、法律の暗記より詩の講義を好み、のちにストラスブールで学位をとりました。
ゼーゼンハイムの恋と『ゲッツ』
ストラスブールでの学生時代は、ゲーテを詩人に変えた時期でもありました。この町で出会った思想家ヘルダーは、シェイクスピアやオシアン、そして民衆のあいだで歌いつがれてきた「民謡詩」への関心をゲーテの中に呼びさましました。 1770年10月には、近くの村ゼーゼンハイムでフリーデリケ・ブリオンと恋に落ちますが、その関係は翌1771年8月に終わっています。 若い日の恋と別れは、のちの作品に何度も影を落とすことになります。ゲーテの名を初めて世に知らせたのは、1773年の悲劇『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』でした。 『ウェルテル』の大成功は、その翌年のことです。
『ウェルテル』と突然の名声
1772年、弁護士としてヴェッツラーにいたゲーテは報われない恋をし、その経験から生まれた『若きウェルテルの悩み』(1774年)で世界的な名声を得ます。 手紙の形で書かれたこの小説は、婚約者のいる女性を愛した繊細な青年が最後に自ら命を絶つ物語で、ヨーロッパ中の若者がウェルテルの服装や気分をまねました。理性より激しい感情を重んじた「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)」運動の代表作です。
ワイマールの宮廷で
1775年、名声を買われたゲーテはザクセン=ワイマール公カール・アウグストの宮廷に招かれ、以後生涯ワイマールで暮らしました。 政府の高官として鉱山や財政を担当し、1791年からは宮廷劇場の監督も務めます。 1786年から88年のイタリア旅行で古典美術の落ち着いた調和に目覚め、帰国後に最初の本格的な科学論文『植物変態論』を発表しました。 1794年には劇作家シラーとの友情が始まり、1805年にシラーが亡くなるまで、文学史上もっとも有名な協力関係の一つとなりました。
生涯の作品『ファウスト』
ゲーテは大人になってからほぼ一生をかけて『ファウスト』に取り組みました。知識の限界に絶望した学者ファウストが悪魔メフィストフェレスと契約し、魂と引きかえにあらゆる経験と満足を求める物語です。 グレートヒェンとの悲恋をふくむ第一部は1808年に出版され、壮大で象徴的な第二部はゲーテの死後、1832年に世に出ました。 目先の利益のために大切なものを手放す取引を英語で「Faustian bargain(ファウスト的取引)」と言うのは、この物語から来ています。哲学者ショーペンハウアーは、彼の小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を史上もっとも偉大な四つの小説の一つに挙げました。
「フォン」の称号とクリスティアーネ
名前の「フォン」は、生まれつきのものではありません。1782年、ザクセン=ワイマール公カール・アウグストがゲーテを貴族に列したことで、この称号がつきました。 私生活では、クリスティアーネ・ヴルピウスと長く暮らし、18年に及ぶ関係のすえ、1806年10月19日に正式に結婚しました。 その直前の1806年10月には、ナポレオンの軍がワイマールを占領しています。 二人のあいだには何人かの子が生まれ、その一人が息子のアウグスト(1789–1830年)です。 1812年には、テプリッツとウィーンへの旅でベートーヴェンと会っています。 晩年にも創作の力は衰えず、1819年にはペルシアの詩人ハーフィズに影響を受けた詩集『西東詩集』を発表しました。
「もっと光を」の真相
ゲーテは1832年3月22日、ワイマールで82歳で亡くなりました。死因は心不全とみられています。 最期の言葉として有名な「もっと光を!」は、医師カール・フォーゲルが伝えたものですが、フォーゲルは臨終の場にいなかったため、この話には疑問も出されています。それより早いカール・ヴィルヘルム・ミュラーの記録では、二つ目の窓の鎧戸を開けてほしいという、もっと長い言葉だったとされています。 晩年の言葉や考えは、ヨハン・ペーター・エッカーマンが書き留め、1836年に『ゲーテとの対話』として出版されました。 亡骸はワイマール歴史墓地の公爵家の墓所に納められ、そこには親友シラーの棺も並んでいます。 十年あまりの友情で結ばれた二人は、死んだあとも隣り合って眠っているのです。
ゲーテで覚える表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| a Faustian bargain | 悪魔との取引 | It felt like a Faustian bargain. |
| sell your soul | 魂を売る | He sold his soul for fame. |
| Sturm und Drang | 疾風怒濤、心の嵐 | Teenage years are Sturm und Drang. |
| Weltliteratur | 世界文学 | Goethe dreamed of Weltliteratur. |
| Mehr Licht! | もっと光を! | "Mehr Licht!" is a famous phrase. |
練習問題: 「Faustian bargain」に思えた選択について、「sell your soul」を使って英語で三文書いてみましょう。