ルベン・ダリオとは?モデルニスモを始めたニカラグアの国民的詩人

13歳で「少年詩人」と呼ばれ、詩集『青』でスペイン語の詩を一新したルベン・ダリオ。生涯、代表作、モデルニスモとは何かをわかりやすく紹介します。

ルベン・ダリオは、19世紀末から20世紀初めにかけてラテンアメリカのモデルニスモを代表したニカラグアの詩人です。19世紀のラテンアメリカでもっとも偉大な詩人とも称され、母国ニカラグアではアウグスト・サンディーノと並ぶ国民的英雄になっています。 彼の詩は、当時よどんで単調だったスペイン語の詩に新しい活力をもたらしました。

モデルニスモとは?

モデルニスモは、19世紀末に花開いたスペイン語圏の文学運動で、ダリオがその口火を切りました。 フランスの高踏派や象徴派の美学をスペイン語の詩に取り入れたもので、メキシコの詩人オクタビオ・パスは、ダリオがスペイン語でもっとも深い詩の革命の一つを導いたと述べています。 英語の「モダニズム」とは別の運動なので、混同しないように注意しましょう。

1896年の評論集『奇人たち(Los raros)』は、芸術の自律、コスモポリタニズム、詩の音楽性、写実主義との決別を説いた、モデルニスモの美学的な宣言とされています。

「ダリオ」という名前の由来

本名はフェリクス・ルベン・ガルシア・サルミエントで、1867年1月18日に生まれ、1916年2月6日に亡くなりました。 生まれたのはニカラグア北部のメタパ(現在のシウダー・ダリオ)です。 「ダリオ」という名は、曾祖父が町で「ドン・ダリオ」と呼ばれていたことから、一家全体が「ダリオ家」として知られるようになったものだと、本人が自伝で説明しています。

両親が別れたため、彼はレオンの町で母方の大おば夫婦に育てられ、幼いころはこの夫婦を本当の両親だと思っていました。 当時暮らした家は、今ではルベン・ダリオ博物館として公開されています。

13歳の「少年詩人」

ダリオは神童として知られ、13歳になると少年詩人として中米にその名が知られるようになりました。 最初に活字になった詩は哀歌「一粒の涙」で、1880年7月26日にリバスの新聞に載りました。 エルサルバドルではフランス詩に詳しい詩人フランシスコ・ガビディアに出会い、フランス語のアレクサンドラン(十二音節詩行)をスペイン語に移す試みを初めて行いました。

詩集『青』とブエノスアイレス

1886年にチリへ渡り、1888年7月、バルパライソで『青(Azul...)』を出版します。チリの新聞や雑誌に載った詩と散文をまとめたこの本は、始まったばかりのモデルニスモ革命の鍵となる作品とされています。 すぐに売れたわけではありませんが、スペインの有力な作家で批評家のフアン・バレーラが、マドリードの新聞で高く評価しました。

その名声のおかげで、彼はブエノスアイレスの新聞『ラ・ナシオン』の特派員になりました。 1896年にはブエノスアイレスで『俗なる詠唱(Prosas profanas)』を出し、スペイン語の文学モデルニスモを決定的なものにしました。

スペイン、パリ、そして帰郷

1898年の末、米西戦争に敗れたスペインの様子を伝えるため、『ラ・ナシオン』の特派員としてスペインへ渡ります。 マドリードではフアン・ラモン・ヒメネスら若い詩人たちに大きな影響を与えました。 1905年には、のちに代表作とされる『命と希望の歌』を発表しています。

詩人・特派員としてだけでなく、コロンビアの総領事やニカラグアの駐スペイン公使など、数々の公職にも就きました。 1916年1月7日、幼いころを過ごしたレオンに戻り、2月6日、アルコール依存による肝硬変で亡くなりました。レオン大聖堂に葬られています。

2002年から発行された100コルドバ紙幣には、彼の肖像が使われていました。

ルベン・ダリオで学ぶ日本語表現

表現 意味 例文
口火を切る 物事のきっかけを作る ダリオがモデルニスモの口火を切った。
新風を吹き込む 新しい雰囲気をもたらす 彼の詩はスペイン語詩に新風を吹き込んだ。
名をはせる 名前が広く知られる 13歳で少年詩人として名をはせた。
各地を渡り歩く あちこちを移り住む 彼は中南米とヨーロッパを渡り歩いた。
故郷に錦を飾る 成功して故郷に帰る 彼は詩人として故郷に錦を飾った。

練習: 「口火を切る」と「新風を吹き込む」を使って、好きな作家を三文で紹介してみましょう。

ルベン・ダリオで外国語を学ぶ

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