孤雲・崔致遠:唐の科挙に受かった新羅の少年と、故郷で閉ざされた扉
崔致遠(857年–?)は12歳で唐に渡って科挙に合格し、帰国して改革を訴えましたが、骨品制の壁にはばまれ、海印寺に隠れ住みました。その生涯を紹介します。
崔致遠(チェ・チウォン、857年–10世紀)は統一新羅時代の思想家・詩人です。長く唐で学んで科挙に合格し、唐の官職にもつきましたが、新羅に戻って国を改革しようとしたものの、厳しい身分制度「骨品制」にはばまれ、やがて世を離れて海印寺のあたりで隠者として暮らしました。 号は孤雲(「ひとりぼっちの雲」)、慶州崔氏の始祖とされています。
「六頭品」に生まれて
崔致遠は857年、新羅の都・慶州に生まれました。家は骨品制のなかの「六頭品」という、貴族と庶民のあいだに位置する世襲の身分でした。 六頭品は官職にはつけても、最高の地位は「真骨」と呼ばれる王族・貴族にかぎられていました。そのため野心ある六頭品の若者たちは、僧になるか、儒学を学ぶか、ときには遠く唐へ渡って道を探しました。
10年以内に合格せよ
12世紀の歴史書『三国史記』によると、869年、わずか12歳の崔致遠を唐へ送り出すとき、父は「10年以内に科挙に受からなければ、わが子ではない」ときびしく言い聞かせました。 崔致遠は10年たたないうちに最上位の試験に合格し、外国人としては異例のことに唐で官職につきました。韓国では、反乱を起こした黄巣を責める檄文「討黄巣檄文」を書いたことでも有名です。
帰国と改革の夢
年老いた両親を思い、唐の皇帝に願い出て、885年、28歳で新羅に帰ります。 儒学の機関・翰林院の教官をはじめ、兵部の長官や各地の太守などを務めましたが、新羅はききんや反乱、地方豪族の台頭で崩れかけていました。 894年、崔致遠は真聖女王に急いで行うべき改革案を差し出します。女王は喜んだといわれますが、自分たちの力をおびやかされる真骨貴族の反対で実行されませんでした。 生まれのせいで扉を閉ざされた才能ある学者の、韓国史でもっともよく記録された例の一つです。
唐での十年と『桂苑筆耕』
科挙に合格したあと、崔致遠は南方の州の役所に任じられ、十年近く唐で役人として働きました。そのあいだには、873年から888年まで在位した皇帝・僖宗とも面識を得ています。 黄巣の乱が起きると、将軍・高駢のもとで反乱鎮圧に力を尽くし、その功績を認められました。 885年に新羅へ戻るとまもなく、彼は唐で書いた文章をまとめて憲康王に献上しました。それが全十巻の『桂苑筆耕』で、題は「桂の苑を筆で耕す」という意味です。 中身は唐で仕えていたころの公文書や上奏文が中心で、彼のもとの文集の多くが失われた今、まとまって残る貴重な作品になっています。 詩のほうは、おもに朝鮮時代の詩文集『東文選』や『三国史記』を通じて伝わっています。その中には、唐で初めての任地へ向かう途中に詠んだ一首も含まれています。 十代で異国に渡り、言葉も習慣も違う土地で役人として生きた若者の心細さと誇りが、こうした詩や公文書の行間から伝わってきます。外国人でありながら唐の公文書をまかされたこと自体が、彼の漢文の力がどれほど抜きんでていたかを物語っているでしょう。
「四山碑銘」と高麗での評価
晩年に心を寄せた仏教の世界で、崔致遠はすぐれた碑文を残しました。とくに知られるのが「四山碑銘」と呼ばれる四つの碑文です。887年の双磎寺の真鑑国師碑、885年の慶州の大崇福寺碑、890年の聖住寺の朗慧和尚碑、そして924年の聞慶の智証大師碑で、大崇福寺碑は完全な形では残っていません。 最後の碑文の年から、崔致遠が924年にはまだ生きていたことがわかります。 新羅が滅んだあとも評価は高まり、高麗の顕宗(在位1009–1031年)は彼に「文昌侯」という諡号を贈り、13世紀の初めには国の儒学の祠堂に肖像が祀られました。 亡くなった年はわかっていません。伽耶山の森のはずれで彼のわらじが見つかり、そのまま仙人になったという伝説が残る一方、自ら命を絶ったのではないかという説もありますが、どちらも推測の域を出ません。
「孤雲」のその後
失望した崔致遠は、しだいに世を離れていきます。晩年は仏教に心を寄せ、兄が住職をつとめる海印寺に落ち着きました。 そこで書いた長い碑文や新羅の名僧の伝記は、今では新羅仏教を知るための大切な資料です。 後世には、仙人になって山に消えたという伝説まで生まれました。釜山の海雲台という地名も、もう一つの号「海雲」にちなむと伝えられ、各地に彼の足跡をめぐる言い伝えが残っています。新羅を代表する文人であり、海外で成功しながら故郷で閉ざされた扉に出会った人の物語として、今も読まれ続けています。
今に残る足あと
崔致遠ゆかりの地は、韓国各地に今も残っています。海印寺のある伽耶山には、彼が世を離れて暮らした場所としての言い伝えがあり、慶州や釜山でも彼をしのぶ碑や記念の場所を訪ねることができます。科挙の勉強のため幼くして海を渡り、異国で認められながら、故郷では身分の壁に苦しんだという物語は、今の留学生や海外で働く人にも重なるところがあるでしょう。
崔致遠で覚える英語表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| a glass ceiling | 見えない昇進の壁 | He hit a glass ceiling. |
| against all odds | 困難をはねのけて | He passed against all odds. |
| study abroad | 留学する | He went to study abroad at twelve. |
| a closed door | 閉ざされた扉 | His ideas met a closed door. |
| withdraw from public life | 世を離れる | He withdrew from public life. |
練習問題: 留学した人について、「against all odds」「a closed door」を使って英語で三文書いてみましょう。