ワシントンはなぜ「建国の父」と呼ばれる?権力を自ら手放した初代大統領
ジョージ・ワシントンは独立戦争を勝ち抜き、憲法制定会議の議長を務め、初代大統領になりました。最も画期的だったのは、自ら身を引いたことです。
ジョージ・ワシントン(1732–1799年)が「建国の父」と呼ばれるのは、大陸軍を率いてアメリカ独立戦争に勝ち、合衆国憲法をつくった会議の議長を務め、1789年から1797年まで初代大統領を務めたからです。 けれども歴史家が最も高く評価するのは、彼が「しなかったこと」です。権力を握り続けることができた場面で二度、自ら手放し、それが今もアメリカの民主主義のルールになっています。
バージニアの測量士
ワシントンは1732年、バージニア州ウェストモアランド郡に生まれました。 正規の教育はあまり受けず、若いころは辺境の土地を測る測量士として働き、その後フレンチ・インディアン戦争でバージニア民兵として戦いました。
父の死と、兄が遺した農園
ワシントンが生まれたのは1732年2月22日、バージニア州ウェストモアランド郡のポープス・クリークでした。当時使われていた旧暦では1731年2月11日にあたります。 1743年に父オーガスティンが亡くなると、ジョージはフェリー農場と10人の奴隷を相続し、異母兄のローレンスはリトル・ハンティング・クリークの土地を受け継いで「マウントバーノン」と名づけました。 1749年7月20日、地元の有力者トマス・フェアファックスの推薦でカルペパー郡の測量士として宣誓し、翌1750年に辞めています。 1751年には結核をわずらった兄ローレンスの療養に付き添ってカリブ海のバルバドスへ渡り、そこで天然痘にかかりました。兄は翌1752年に亡くなります。 若くして家族を失い、のちに兄ゆかりのマウントバーノンを自分の家とすることになるのです。天然痘を一度乗り越えたことは、のちに疫病が流行する戦場で彼を守ることにもなったと考えられます。
若き将校の失敗
フレンチ・インディアン戦争の始まりは、ワシントンにとって苦い経験でした。1754年5月28日、彼の部隊はフランス軍の一隊を待ち伏せし、指揮官ジュモンヴィルを死なせます。同じ年の7月3日には、約900人のフランス軍にネセシティ砦を攻められ、降伏しました。 1755年のモノンガヘラの戦いでは、ブラドック将軍の率いるイギリス軍の3分の2が死傷し、将軍も戦死しましたが、ワシントンは生き残った兵をまとめて退却の殿をつとめ、評価を高めました。 1758年からの7年間はフレデリック郡選出の植民地議会議員を務め、1759年1月6日、26歳で裕福な未亡人マーサ・ダンドリッジ・カスティスと結婚しています。 若いころの敗北と、議会で政治を学んだ年月が、のちの総司令官と大統領の土台になりました。
ぼろぼろの軍を率いて
1775年、大陸会議は彼を大陸軍の総司令官に任命しました。 兵士たちは給料も物資も足りず、相手は世界最強の陸海軍でした。ワシントンは勝った戦いより負けた戦いのほうが多かったのですが、軍を存続させ続けたことこそが最大の功績でした。軍がある限り、革命は終わらないからです。1776年のボストン、トレントンとプリンストン、そして1781年のヨークタウンで勝利し、1783年のパリ条約でイギリスはアメリカの独立を認めました。
一度目の「身を引く」
戦争が終わったとき、彼は国中で最も人気のある人物で、軍を使えば権力を奪えると恐れる人もいました。しかし彼は職を辞し、マウントバーノンの農園に帰ります。革命に勝った将軍は支配者になるものだと思っていたヨーロッパの人々は驚きました。これで、新しい国を治めるのは兵を握る者ではなく、選ばれた市民だと示されたのです。
憲法と初代大統領
1787年、フィラデルフィアの憲法制定会議で議長を務め、 1789年と1792年の選挙で満場一致で大統領に選ばれました。 政府の中ではジェファーソンとハミルトンが激しく対立しましたが、彼はその争いの外に立とうとし、外交では中立を保って議論を呼んだジェイ条約を支持しました。
二度目の「身を引く」
二期務めた後、法律で決まっていたわけでもないのに引退しました。これが「大統領は二期まで」の伝統と、平和的な政権交代の前例になりました。 1796年の「告別の辞」では、地域対立、行き過ぎた党派心、外国の影響に注意するよう国民に呼びかけています。
奴隷制という矛盾と「桜の木」の神話
自由のために戦った彼は、マウントバーノンで多くの奴隷を所有していました。晩年には奴隷制に反対するようになり、遺言で彼らの将来の解放を定めましたが、それは彼の死後のことでした。 父から10人の奴隷を相続した彼のもとで、マウントバーノンの奴隷の数は1775年までに倍以上に増え、100人を超えていました。 ワシントンは1799年12月14日、そのマウントバーノンで亡くなっています。 自由をかかげた建国の父が、多くの人の自由を奪う制度の上で暮らしていたという事実は、アメリカの歴史が今も向き合い続けている大きな矛盾です。英雄をたたえることと、その欠点から目をそらさないことは、両立させることができます。 また、幼いワシントンが父の桜の木を切って「うそはつけません」と正直に告白した話は、1800年に初版が出た伝記作家メイソン・ロック・ウィームズの本から広まったもので、作り話と考えられています。 首都ワシントンD.C.とワシントン州は、彼の名にちなんでいます。
ワシントンで覚える日本語表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 身を引く | 自分から地位や役割を離れる | 彼は二期で潔く身を引いた。 |
| 前例をつくる | 後の手本になることをする | その決断が新しい前例をつくった。 |
| 正直に打ち明ける | 隠さずに本当のことを話す | 失敗を正直に打ち明けた。 |
| 権力にしがみつく | 地位を手放そうとしない | 権力にしがみつく指導者は多い。 |
| 逆境に負けない | 苦しい状況でもくじけない | 逆境に負けずに軍を守った。 |
練習問題: 役割や習慣、言い争いなどから自分で「身を引いた」経験を、「身を引く」「前例をつくる」を使って三文で書いてみましょう。