金弘道(檀園):相撲や寺子屋、朝鮮の暮らしを描いた画家
金弘道(1745–1806年ごろ)、号は檀園。シルム(朝鮮相撲)や書堂など、庶民の日常をいきいきと描いた朝鮮王朝の画家です。生涯と代表作の風俗画帖を紹介します。
金弘道(キム・ホンド、1745年–1806年から1814年ごろ)は、号を檀園(タノン)という朝鮮王朝の画家で、庶民の日常をいきいきと描いたことで知られています。その作風はオランダ黄金時代の画家たちにたとえられることもあります。 書堂(村の寺子屋)、シルム(朝鮮相撲)、鍛冶屋などを描いた25枚の風俗画をまとめた画帖は、韓国の国宝に指定されています。
安山での修業
金弘道は金海金氏の出身で、いまのソウル南方の安山で育ちました。7歳のとき、当時安山にひっそり暮らしていた名高い文人画家・姜世晃(カン・セファン)に学びはじめます。 姜世晃はその才能を見抜き、宮廷の画家の世界へ進む道を開きました。金弘道は王室の絵画を担う図画署の画員となり、肖像画や儀式の記録画などを描きました。
二人の王に仕えた画家
金弘道は英祖と正祖の時代に活躍しました。 1776年に描いた『群仙図(十九人の道教の仙人)』で名声が一気に高まり、即位したばかりの正祖から多くの公式の絵を任されました。 才能ある人を重んじた改革の王・正祖は、金弘道を深く信頼していたといわれます。また清を通じて学んだとみられる西洋の画法を大胆に取り入れ、朝鮮絵画の作風を大きく変えたとされます。
21歳で宮廷画員に
金弘道が図画署に入ったのは1766年、21歳のときで、師の姜世晃の推薦があったといいます。 若い画員はすぐに大きな仕事をまかされました。1771年には、のちの正祖となる王世孫の肖像画を描いています。 1773年には、先輩画員の卞相璧を助けて英祖の御真(王の肖像画)の制作にも加わりました。 王の顔を描くことは、宮廷画家にとって最も名誉ある仕事の一つです。のちの1800年、正祖は「この三十年、宮廷の大きな絵はみな金弘道に描かせてきた」と語ったと伝えられており、その中には三点の御真や昌徳宮の『海上群仙図』も含まれていたといいます。 二十代で王の肖像にかかわり、その後三十年にわたって王室の大事な絵を手がけたことになり、宮廷がこの画家にどれほど頼っていたかがよくわかります。
たくさんの名前を持つ画家
朝鮮の文人や画家は、本名のほかに字(あざな)や号をいくつも持つのがふつうでした。金弘道の字は士能(サヌン)で、号には有名な檀園のほか、丹邱、西湖、高眠居士、酔画士、輒酔翁などがあります。 「酔画士(酔った画家)」や「輒酔翁(すぐ酔う翁)」という号からは、酒を好み、自分を少しおどけて見せる人柄がうかがえます。正祖が亡くなった1800年以降の晩年にも、『秋声賦図』や『三公不換図』などの作品を残しました。
庶民の暮らしを描く
金弘道の名を高めたのは「風俗画」です。それまでの朝鮮絵画は山水や花鳥、身分の高い人の肖像が中心でしたが、彼は農民や職人、子ども、旅人に目を向けました。画帖『檀園風俗図帖』には、そうした場面が25枚収められています。
- 書堂:先生にしかられて泣く少年と、口に手を当てて笑う仲間たち。
- シルム:まん中で組み合う二人の力士と、そのまわりを囲んで一喜一憂する見物人。
- 舞童:小さな楽団の音に合わせて踊る少年。
- 鍛冶屋:熱い鉄をたたく職人たち。
- 昼食:田んぼで一緒に昼ごはんを食べる農民たち。
すばやく確かな筆の線と淡い色で描かれた人々は、ユーモアとぬくもりに満ちています。
画帖は韓国の国宝第527号で、韓国の紙に淡い水彩で描かれています。 25枚の内訳を見ると、田を耕す、稲を打つ、馬に蹄鉄を打つ、瓦をふくといった仕事の場面が7枚、機織りや洗濯場、井戸端、居酒屋などの暮らしの場面が7枚、渡し舟や行商、市場への道、嫁入りの行列など道ばたの場面が5枚あります。 さらにコヌ遊びや弓術などの遊びが4枚、絵の鑑賞と書堂という学びの場面が2枚です。 働く、暮らす、出歩く、遊ぶ、学ぶ。この並びをながめるだけで、18世紀の朝鮮の人びとの一日がひと通り見えてきます。道ばたの場面の一枚には『路上破顔』、つまり「道で思わず顔をほころばせる」という題がついていて、笑い声まで聞こえてきそうです。 ほかにも占いの札を引く場面やタバコの葉を刻む場面があり、身分の低い人びとの小さな楽しみや仕事まで、画家は分けへだてなく描きとめました。
檀園の絵の見方
まずは『シルム』を見てみましょう。まん中で組み合う二人が主役ですが、おもしろいのはまわりの見物人です。身を乗り出して夢中になる人、ゆったり構える人、そして勝負にはまったく目もくれずに飴を売る少年。金弘道は背景をほとんど描かず、見る人の目が自然に人々の表情と反応に向かうようにしています。顔つきや体の傾きから、どちらの力士が勝ちそうかを当ててみるのも楽しみ方の一つです。『書堂』でも、泣いている少年、先生、そして笑いをこらえる一人ひとりの仲間を順に見ていくと、どの顔にも小さな物語が見つかります。金弘道は画家であると同時に、すぐれた語り手でもあったのです。
さびしい晩年と今の評価
成功したにもかかわらず、晩年は孤独で貧しかったようで、亡くなった年も1806年、1810年など資料によってまちまちです。 今では恵園(申潤福)、吾園(張承業)とともに朝鮮の「三園」の一人に数えられ、韓国史上もっとも偉大な画家の一人とされています。 育った安山には彼の号にちなむ「檀園区」があり、毎年「檀園美術祭」も開かれています。画帖はソウルの国立中央博物館が所蔵しています。
檀園で覚える韓国語
| 韓国語 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 서당 (ソダン) | 村の寺子屋 | 아이들이 서당에서 공부해요. |
| 씨름 (シルム) | 朝鮮相撲 | 씨름 경기를 봤어요. |
| 풍속화 (プンソクファ) | 風俗画 | 김홍도는 풍속화로 유명해요. |
| 대장간 (テジャンガン) | 鍛冶屋 | 대장간에서 쇠를 두드려요. |
| 점심 (チョムシム) | 昼食 | 같이 점심을 먹어요. |
練習問題: 金弘道の絵を一枚選んで日本語で三文説明し、씨름か서당を使った短い韓国語の文も作ってみましょう。