松尾芭蕉の生涯と「古池や」の句:旅に生きた俳聖をやさしく読む
松尾芭蕉(1644–1694年)は「古池や蛙飛び込む水の音」や『おくのほそ道』で知られる俳諧の大成者です。生涯と代表句、句の味わい方を紹介します。
松尾芭蕉(1644–1694年)は江戸時代の俳人で、のちに「俳句」と呼ばれる短い詩の形を芸術に高めた第一人者です。1686年に詠んだ「古池や蛙飛び込む水の音」は、日本でもっとも有名な一句でしょう。 晩年の多くを旅に過ごし、紀行文『おくのほそ道』は日本文学の古典になっています。 英語圏でも「Basho」の名は haiku とともに広く知られています。
伊賀に生まれて
芭蕉は1644年、伊賀国上野の近く(いまの三重県西部)に生まれました。家は武士の血筋でしたが、豊かではありませんでした。 若いころ、藤堂家の若君・良忠(蝉吟)に仕え、主君とともに、何人かで句を付け合っていく「俳諧の連歌」に親しみました。 その最初の五・七・五の句を「発句」と呼び、のちに独立した発句が「俳句」と呼ばれるようになります。
江戸の俳諧師
1666年に主君が急死すると、芭蕉はやがて江戸に出て、俳諧の仲間のあいだで名を知られるようになり、俳諧の師匠として暮らしを立てました。 1680年ごろ深川の質素な庵に移ると、門人が芭蕉(バナナの仲間の植物)を一株植えてくれました。芭蕉はこの植物を愛し、庵は「芭蕉庵」、本人も「芭蕉」と呼ばれるようになりました。
名前が三度変わった人
芭蕉という名は、最初からのものではありません。若いころは本名の宗房(むねふさ)を音読みした「宗房(そうぼう)」を俳号にしていました。1675年に大坂の談林派の宗匠・西山宗因が江戸を訪れたあとには「桃青」と名のり、1680年ごろ深川の庵に門人が芭蕉の株を植えてから、ようやく「芭蕉」と呼ばれるようになったのです。 名前の移り変わりは、そのまま作風の移り変わりでもありました。にぎやかな言葉遊びから出発した人が、少しずつ静かで深い句へと向かっていったのです。
ところが1682年の冬、その芭蕉庵が火事で焼けてしまいます。翌1683年のはじめには母も亡くなりました。 芭蕉はこのころ禅の修行にも取り組みましたが、心が落ち着いたようには見えなかったと伝えられています。 住まいも家族も失ったことが、芭蕉を「旅に生きる人」へと押し出したと考えると、のちの旅の句がいっそう身にしみて感じられます。
四つの大きな旅
1684年、芭蕉は最初の大きな旅に出て、西の京都や奈良をめぐりました。この旅の句は『野ざらし紀行』にまとめられています。「野ざらし」とは、野で風雨にさらされた骨のことで、道中で死ぬ覚悟を表した言葉です。 その後も1687年の『鹿島紀行』、1688年の『笈の小文』と『更科紀行』と、旅の記録が続きます。 1689年に曾良と出かけた『おくのほそ道』の旅は、こうして積み重ねてきた旅の総まとめでした。
「古池や」の句
1686年の春、芭蕉はこの句を詠みました。
古池や 蛙飛び込む 水の音
大げさなことは何も言っていません。静かな古池と、蛙が飛びこむ一瞬の音だけです。静けさと音の対比、そして言わずに残した余白に、この句の深さがあります。飾らずに深いこの作風が、芭蕉の持ち味になりました。
『おくのほそ道』の旅
1689年5月16日(元禄2年3月27日)、芭蕉は門人の河合曾良とともに江戸を発ち、東北・北陸をめぐる長い旅に出ました。 旅はおよそ5か月、道のりは2000キロ以上におよび、その多くを歩きました。 散文と俳句をまじえた紀行には、寺や古戦場、山々、出会った人々が描かれています。「荒海や佐渡に横たふ天河」もこの旅で生まれた句です。
最後の旅
1694年の夏、芭蕉は最後に江戸を発ち、上野や京都をへて大坂に着きましたが、そこで病に倒れ、門人たちに見守られて亡くなりました。 正式な辞世の句は残していませんが、病床で詠んだ「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」がしばしば辞世として扱われます。
「軽み」と弟子たち
晩年の芭蕉が大切にした考えに「軽み」があります。1693年、ひと月ほど人に会わずに引きこもったあと、芭蕉は世の中から離れるのではなく、ふだんの暮らしにまっすぐ向き合うという、仏教にも通じるこの考え方を取り入れました。 重々しい言葉を使わず、日常のことを軽やかに詠むことで、かえって深いものが伝わる。その姿勢は、今の俳句を作る人にとっても大きなヒントです。
芭蕉のまわりには多くの弟子が集まりました。宝井其角は1684年に句集『虚栗』を出し、芭蕉の最期の様子も書き残しました。向井去来と服部土芳は、芭蕉が俳諧について語った言葉を集めています。 1691年の『猿蓑』は、芭蕉一門の代表的な撰集の一つです。 意外なことに、芭蕉自身がいちばん得意だと考えていたのは、一句だけの発句ではなく、仲間と句をつないでいく連句でした。
死後の評価
芭蕉が亡くなったあと、1702年に『おくのほそ道』が初めて出版されると、すぐに評判になりました。 1793年には神として祀られ、しばらくのあいだ芭蕉の句を批判することは不敬だとさえ考えられました。 明治時代になると、正岡子規がこの「芭蕉崇拝」に異を唱えましたが、同時に芭蕉の作品を英語圏に紹介するのにも力を尽くし、「俳句」という言葉を広めました。 1979年には、国際天文学連合が水星のクレーターに芭蕉の名前をつけています。
俳句の味わい方
五・七・五の形、季節を表す「季語」(「蛙」は春の季語)、そして「や」のように間をつくる「切れ字」。この三つを知っておけば十分です。場面を思い浮かべ、何かが変わる一瞬に気づき、そこから生まれる気持ちを感じてみましょう。外国語で俳句を作るのも、少ない言葉を選びぬく、よい語学の練習になります。
芭蕉で覚える英語表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| an old pond | 古池 | There is an old pond in the garden. |
| a splash | 水しぶきの音 | I heard a splash. |
| a journey | 旅 | Life is a journey. |
| a seasonal word | 季語 | "Frog" is a seasonal word for spring. |
| to wander | さまよう | My dreams wander over withered fields. |
練習問題: 今日見たものについて、季語を一つ入れた三行の俳句を英語か日本語で作ってみましょう。