白居易(白楽天)はなぜ日本でこれほど愛されたのか?『源氏物語』にも引かれた唐の詩人
「長恨歌」で知られる唐の詩人・白居易。平安の貴族が『白氏文集』を愛読した理由、わかりやすい詩風、左遷と西湖の堤まで、生涯をたどります。
白居易が日本で愛された最大の理由は、その詩がとてもわかりやすかったことです。平易でほとんど話し言葉に近い彼の詩は、中世の東アジア全体で人気を集め、日本では字(あざな)の「楽天」を音読みした「白楽天」の名で広く親しまれました。 紫式部の『源氏物語』には彼の詩が数多く引用され、能の大成者・世阿弥も作品の中で彼の詩を引いています。 白居易は唐代中期の漢詩人で、代表作は「長恨歌」「琵琶行」「新楽府」、詩文集は『白氏文集』です。
名前に込められた意味
白居易は772年に生まれ、846年に亡くなりました。 名の「居易」は『礼記』の「君子は易きに居りて以て命を俟つ」に、字の「楽天」は『易』の「天を楽しみ命を知る、故に憂えず」に由来します。晩年には香山居士、酔吟先生とも名乗りました。 天の定めを楽しんで憂えない、という名前のとおり、彼の人生には何度も浮き沈みがありました。
子どものころから頭がよく、5、6歳で詩を作り、9歳で詩の音律を身につけたといわれます。 家は名門ではありませんでしたが、安禄山の乱のあとの改革で低い家柄の人にも道が開かれ、800年、29歳で科挙の進士科に合格しました。
「長恨歌」と諫める詩
35歳で役人として任官した年の冬、彼は120句に及ぶ長編の歌「長恨歌」を作ります。 唐の玄宗皇帝と楊貴妃の愛を描いたこの詩は、安禄山の乱の混乱の中で悲しい結末を迎える物語でもあります。
その後、皇帝の過ちをいさめる役目の左拾遺になると、社会や政治を批判する「新楽府」を多く作りました。 欲深い役人を風刺し、庶民の苦しみを描いた詩は、読む人には支持されましたが、権力者には疎まれました。
左遷が生んだ「閑適詩」
815年、宰相の武元衡が暗殺される事件が起きます。白居易は、暗殺者を捕らえるだけでなく裏で操る者を明らかにすべきだと上書しましたが、これが越権行為とされ、江州司馬に左遷されました。 一説には、母が花を見ていて井戸に落ちて亡くなったことに絡め、花や井戸を詠んだ詩が「親不孝」の証拠として持ち出されたともいいます。
けれども、この左遷の時期に多くの「閑適詩」が生まれました。 若いころの彼は社会を批判する「諷諭詩」を重んじていましたが、江州に移ってからは、日々のささやかな喜びを詠む閑適詩へと重心が移っていきます。
詩を四つに分けた理由
白居易は自分の詩を「諷諭」「閑適」「感傷」「雑律」の四つに分類しました。諷諭詩は、自分の力を発揮できる立場にあるときは広く世の中を救うべきだという「兼済」の志から作ったもの、閑適詩は、世に受け入れられないときは名誉や利益にとらわれず自分を修めるべきだという「独善」の考えを詠んだものだと、彼自身が説明しています。 そして最も大切なのは諷諭詩、次に意味があるのは閑適詩だと述べ、「長恨歌」や「琵琶行」はそれとは別の「感傷詩」に入れました。
つまり、今いちばん有名な「長恨歌」は、作者本人にとっては一番の自信作ではなかったのです。読者が愛する作品と作者が重んじる作品がずれる。この点にも、白居易という詩人のおもしろさがあります。親友の元稹や劉禹錫とやりとりした詩も、名作として知られています。
西湖に残した堤
822年には杭州の長官となり、治水などで行政官としても実績をあげました。 西湖の古い堤が崩れて農民が干ばつに苦しんでいるのを見て、より高く丈夫な堤と水量を調節する堰を築かせたのです。 西湖の堤の一つは後に彼にちなんで「白堤」と呼ばれるようになりましたが、彼が実際に築いた堤そのものは現存していません。
なぜ平安の日本で読まれたのか
白居易は唐代の詩人の中で最も多作で、現存する詩文は約3,800首にのぼります。 彼は自分の作品を書き写させて各地に配り、確実に後世へ残そうとしました。召使いが理解できない部分があれば書き直した、という逸話も伝わっています。
日本では、とくに閑適詩が理想の暮らしを描いたものとして愛され、さまざまな文学に引用されました。彼自身が最も重視した諷諭詩も、菅原道真や紫式部をはじめとする平安時代の知識人にしばしば引かれています。 世阿弥には、日本の和歌の神が白楽天を追い返すという筋の能「白楽天」まであります。 追い返す話が作られるほど、日本の文化の中で彼の存在が大きかったということでしょう。
「俗っぽい」という批判
人気が高かった分、批判もありました。9世紀にはすでに評価が大きく分かれており、話し言葉に近い言い回しや、一部の詩の官能的な表現が「俗っぽい」と批判されたのです。 ある批評家は、白居易と元稹の詩が壁に書きつけられ、親が子に口伝えで教え、人々の骨身にしみこんで取れなくなったと嘆いたほどでした。 今の目で読むと、これ以上ないほめ言葉にも聞こえます。
晩年
晩年は洛陽で暮らし、「役人は70歳で職を退くべきだ」という持論どおり、842年に71歳で退官しました。845年には自らの詩文集『白氏文集』75巻を完成させ、翌846年、洛陽の邸宅で生涯を閉じます。 亡くなる前には、質素な葬儀を望み、死後に贈られる称号も辞退するよう言い残しました。
白居易で覚える日本語表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 楽天的 | 物事を明るく考える | 彼は左遷されても楽天的だった。 |
| 左遷される | 低い地位や遠い土地に移される | 上司に逆らって地方に左遷された。 |
| 噛み砕いて説明する | わかりやすく言い直す | 難しい話を噛み砕いて説明する。 |
| 筆が立つ | 文章を書くのがうまい | 白居易は若いころから筆が立った。 |
| 後世に名を残す | 後の時代まで名前が伝わる | 彼の詩は後世に名を残した。 |
練習問題: 好きな作家や詩人について、「噛み砕いて説明する」と「後世に名を残す」を使って三文書いてみましょう。