「詩仏」王維とはどんな詩人?李白の「詩仙」、杜甫の「詩聖」と並び称される理由
李白が詩仙、杜甫が詩聖なら、王維は詩仏。仏教に深く帰依し、静かな山水を詠んだ唐の詩人・画家の生涯と、「詩中に画あり」と言われた作品を紹介します。
王維は、中国・盛唐の詩人で、同じ時代の李白が「詩仙」、杜甫が「詩聖」と呼ばれるのに対し、典雅で静かな詩風と、晩年の禅への深い傾倒が詩に大きな影響を与えたことから、死後に「詩仏」とたたえられました。 字は摩詰、官職が尚書右丞まで進んだことから王右丞とも呼ばれます。南朝から続く自然詩を大成させ、絵画でも「南画の祖」と仰がれています。
名前そのものが仏教から
王維と仏教の縁は、名前から始まっています。名の「維」と字の「摩詰」は、『維摩経』の主人公である在家の信者「維摩詰」の名を分けたものです。 母の崔氏は僧の普寂に師事した熱心な仏教徒で、王維はその影響を強く受けて育ちました。 『維摩経』は、維摩詰が「空」の教えを説き、最後は言葉を使わず沈黙によって真理を示すという経典です。 静けさを詠む詩人にふさわしい名前だといえるでしょう。
王維はなまぐさものを食べず、派手な服も着なかったと伝えられます。若くして妻を亡くしたあとは再婚せず、30年にわたって独身を通しました。 禅僧の道光のもとで10年間学んだという記録もあります。
都で愛された多才な若者
王維は上品な風貌で博学多芸、幼いころから文才で知られ、音楽にすぐれ、とくに琵琶が得意でした。15歳ごろから都で学び、玄宗皇帝の兄の寧王や弟の薛王からは、師や友のように遇されたといいます。 楽人を描いた絵を見ただけで、「霓裳羽衣の曲の第三段の最初の拍」と言い当てたという逸話も残っています。
科挙に合格して宮廷の音楽を扱う役人になりましたが、作法に反して獅子舞を演じさせたことがとがめられ、地方の倉庫番へ左遷されます。 その後は宰相の張九齢の後ろ盾で昇進し、728年には都で詩人の孟浩然を迎えて親しく交わりました。
輞川の別荘と『輞川集』
王維は役人の給料に加えて画家としての収入もあり、長安の南、藍田にあった広い別荘「輞川荘」を手に入れました。 この別荘を舞台に、王維が詠んだ20首の絶句と、友人の裴迪が同じ題で応えた詩をあわせたのが『輞川集』です。 有名な「鹿柴」もこの中にあります。一見すると素朴ですが、読み込むほどに深さと複雑さが見えてくる詩だと評されています。
母の死と輞川での暮らし
747年ごろに母が亡くなると、王維は別荘に母をまつる堂を建て、伝統どおり3年の喪に服しました。悲しみのあまり、骨と皮ばかりにやせ細ったと記録されています。 母から受け継いだ信仰と、輞川の静かな自然。この二つが重なったところに、王維ならではの詩の世界が生まれたと考えると、作品がいっそう味わい深く感じられます。
輞川での暮らしは、友人たちとの交わりの場でもありました。とくに裴迪とは深く親しみ、同じ題で詩を詠み交わしています。 一人で悟りを開く仙人というより、気の合う友と山や川を歩き、その景色を短い詩に写し取る人。それが王維の素顔に近いのかもしれません。
安史の乱で捕らわれて
755年に始まった安史の乱は、王維の人生を大きく変えました。756年に反乱軍が長安を占領したとき、皇帝や多くの役人はすでに逃げていましたが、王維は赤痢にかかって動けず、捕らえられてしまいます。 洛陽へ連れて行かれた彼は、協力を避けるために耳が聞こえないふりをした、あるいは薬で声をつぶしたとも伝えられますが、結局は反乱軍から官職を与えられました。
757年に唐が洛陽を取り戻すと、王維は反逆の罪で捕らえられます。救ったのは、高官だった弟の王縉のとりなしと、捕らわれていた間に書いた詩でした。その詩が唐への忠誠の証拠として認められたのです。 その後は再び出世し、亡くなる761年まで尚書右丞の職にありました。
「詩中に画あり、画中に詩あり」
王維を語るときに必ず引かれるのが、宋代の詩人蘇軾の言葉です。王維の詩の中には絵があり、その絵の中には詩がある、というのです。 ただし、本人の作と確認された絵は一枚も残っていません。 詩では、孟浩然とともに山水詩を代表し、二人をあわせて「王孟」と呼ぶこともあります。とくに4行の絶句の名手で、水や霧の静かな情景を、わずかな言葉と少ない人影で描きました。
簡素さの中にある深さ
王維の詩は、世界の美しさを肯定しながら、それが本当に実在するのかを問いかけている、と評されます。見かけの簡素さは、周到な修行を積んだうえで、力まずに悟りへ至る禅の道にもたとえられます。 また、彼の詩「渭城曲」は、のちに有名な旋律「陽関三畳」になりました。 別れの詩が、千年以上たっても音楽として歌い継がれているのです。
厳しい評価もあった
もちろん、王維への評価は称賛ばかりではありません。宋の朱熹は、言葉は清らかで上品でも弱々しく気骨に欠けると批判しました。清代の徐増は「天才は李白、地才は杜甫、人才は王維」と評しています。 作品の芸術性は高く評価される一方で、政治に対する消極的な姿勢や、世を離れて隠れ住もうとする傾向には、昔から賛否が分かれてきました。 静けさは、見る人によって悟りにも、逃げにも見えるのかもしれません。
遠く日本やヨーロッパへ
王維の影響は国境を越えました。俳人の与謝蕪村の辞世の句にも、その影が見られるといわれます。 さらに、友人の孟浩然に贈った詩「送別」のドイツ語訳は、作曲家マーラーの『大地の歌』の終楽章「告別」の歌詞になりました。
王維で覚える日本語表現
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 静寂に包まれる | とても静かな状態になる | 山の寺は静寂に包まれていた。 |
| 絵になる | 景色や姿が美しい | 夕暮れの川はまさに絵になる。 |
| 多才 | いろいろな才能がある | 王維は詩も絵も音楽もこなす多才な人だった。 |
| 俗世を離れる | 世の中のわずらわしさから離れる | 彼は晩年、俗世を離れて暮らした。 |
| 行間を読む | 書かれていない意味をくみ取る | 王維の詩は行間を読むと味わいが増す。 |
練習問題: 好きな静かな場所について、「静寂に包まれる」と「絵になる」を使って三文書いてみましょう。