梁山泊の百八人と作者の謎:『水滸伝』の成り立ち、三つの版本、そして江戸の水滸伝ブーム
『水滸伝』は施耐庵作と伝わる明代の長編小説で、梁山泊に集う百八人の好漢を描く。作者論争、版本ごとの結末、江戸日本への影響まで整理。
『水滸伝』は明代の中国の長編小説で、作者は施耐庵と伝えられています。北宋末を舞台に、梁山泊に集まった百八人の無法者が腐敗した朝廷に反旗をひるがえし、のちに招安(帰順)を受けて外敵や反乱軍と戦う物語です。 ただし作者については、施耐庵、『三国志演義』の羅貫中、あるいはその両方が編纂したとする記録があり、多くの人の手を経て成立したと考えられています。 口語体(白話)で書かれた中国小説の代表作で、日本でも江戸時代から熱狂的に読まれてきました。
実在した宋江の反乱
物語の種は史実にあります。『宋史』には、淮南の盗賊・宋江らが官軍を攻め、各地を荒らしたのちに鎮圧されたという記録が残っています。 南宋の時代には宋江の伝説が語られるようになり、13世紀には周密が宋江の仲間三十六人の名を書き留めました。 元代には宋江一味を題材にした雑劇が数多く作られ、説話集『大宋宣和遺事』には、蔡京への誕生祝いの品を奪う話など、のちの小説につながる筋がすでに含まれていました。 杭州の講談師たちが山東の反乱者の話をまとめて語ったことが、小説の口承の原型になったという説もあります。
作者は施耐庵か、羅貫中か
明代の資料は施耐庵を銭塘(今の杭州)出身の元代の文人としていますが、人物像はほとんどわかりません。 1540年の書目『百川書志』は「銭塘の施耐庵」を原作者、羅貫中を完成者として記し、金聖歎以前の明代の版本の多くも「施耐庵集撰、羅貫中纂修」としています。施耐庵ひとりの作という見方が広まったのは、17世紀の批評家・金聖歎が施耐庵の序文と称するものを自分の版に載せてからで、今ではこの序文は金聖歎自身が書いたものとみられています。 前半七十回を施耐庵、後半を羅貫中とする説も根強くあります。
あらすじ
物語は、役人がうっかり封印を解き、石の亀の下に閉じこめられていた百八の魔星を解き放ってしまう場面から始まります。彼らは天罡星三十六と地煞星七十二で、人間界に生まれ変わって好漢となります。
前半は好漢たちの物語のリレーです。ごろつきから太尉に成り上がった高俅が権力を濫用し、林冲は高俅の罠にはめられ、まぐさ場の火事で殺されかけた末に敵を討って梁山泊へ逃れます。晁蓋ら七人は蔡京への誕生祝いの品を奪って同じく山へ入り、第六十回ごろには晁蓋の後を継いで宋江が頭領となります。
百八人が勢ぞろいしたあと、物語は暗転します。朝廷との和解を望む宋江のもとで一同は招安を受け、遼や方臘らとの戦いに送られます。勝利はしたものの三分の二以上が戦死し、宋江自身も最後は奸臣たちに毒殺されてしまいます。
武松の虎退治
人気の好漢のなかでも武松の虎退治は格別です。「三碗不過崗(三杯飲んだら峠を越えるな)」という旗を掲げた酒屋で十八杯も飲み干し、忠告を無視して景陽岡へ向かった武松は、岩の上でうたた寝しているところを虎に襲われます。棍棒が木に当たって折れると、素手で虎を押さえつけ、拳で打ち殺しました。 この虎退治の話は小説より古く、13世紀末の雑劇にすでにあったものの、その作品は失われています。
「逼上梁山」と好漢の倫理
この小説の大部分は、不公正な社会で苦しんだ人物が迫害を逃れて盗賊になるまでを描く連作です。そこから、追いつめられてやむなく反抗することを意味する「逼上梁山」という言葉が生まれました。好漢たちの旗印「替天行道」は権威そのものに挑む言葉で、この本は「乱は上より作る」、つまり混乱は支配層から生まれることを示した作品だとも読まれてきました。
一方で、物語は「義」で結ばれた兄弟の絆と、大きな碗で酒を飲み大きな塊で肉を食らう「好漢」の理想をたたえます。この理想は暴力を避けるどころか、しばしば誇りさえします。 そのため明代から傑作と称賛される一方で、反体制的だ、猥雑だと非難され続け、清朝は1799年にこの小説を禁書にしました。 痛快な英雄譚として楽しみながらも、その暴力と忠義の矛盾に目を向けると、結末の苦さがいっそう際立ちます。
版本で変わる結末
主な繁本は三つあります。招安後の遼・方臘との戦いまでを描く百回本、田虎・王慶との戦いを加えた百二十回本、そして招安の前で物語を切った金聖歎の七十回本です。 どの版を読むかで印象はまるで変わります。七十回本は梁山泊が最も勢いのあるところで終わり、長い版は忠義と戦争と裏切りの悲劇で終わるからです。
江戸の水滸伝ブーム
日本に残る最古の『水滸伝』は、徳川幕府の顧問だった天海が所蔵した1592年の版です。 1757年には早くも和訳の第一冊が刊行され、1805年には曲亭馬琴が葛飾北斎の挿絵による『新編水滸画伝』を出して大評判となりました。1827年に版元の加賀屋吉兵衛が歌川国芳に描かせた百八人の武者絵は国芳を一躍人気絵師にし、全身を彩る刺青の流行まで生んだといわれます。 寛政の改革で洒落本や黄表紙が締めつけられると、建部綾足の『本朝水滸伝』をはじめとする翻案が新しい道を開き、山東京伝や曲亭馬琴の初期の読本はいずれも『水滸伝』を下敷きにしていました。 一つの外国小説が日本文学に与えた影響として、これに並ぶものはないという研究者もいます。
朝鮮半島にも影響は及び、朝鮮の小説『洪吉童伝』は『水滸伝』を多く借りた「子孫」とされ、許筠が『水滸伝』にならって『洪吉童伝』を書いたという古い記録もあります。
『水滸伝』で覚える中国語
| 中国語 | ピンイン | 意味 |
|---|---|---|
| 逼上梁山 | bī shàng Liángshān | やむをえず反乱に追いこまれる |
| 替天行道 | tì tiān xíng dào | 天に替わって道を行う |
| 好汉 | hǎohàn | 男気のある豪傑 |
| 大碗喝酒,大块吃肉 | dà wǎn hē jiǔ, dà kuài chī ròu | 大いに飲み大いに食う豪快さ |
| 武松打虎 | Wǔ Sōng dǎ hǔ | 武松の虎退治 |
練習: 「逼上梁山」を使って、追いつめられて大きな決断をした人の例を中国語で一文、日本語で一文書いてみましょう。