柳寛順(ユ・グァンスン)とはどんな人?三・一独立運動に参加した十代の女学生

柳寛順(ユ・グァンスン)とはどんな人?三・一独立運動に参加した十代の女学生

柳寛順(1902–1920)は梨花学堂の女学生で、1919年の三・一独立運動に参加し、故郷のアウネ市場での集会を主導した後、獄中で亡くなりました。

柳寛順(ユ・グァンスン)は、1919年の三・一独立運動に参加した朝鮮の女学生です。ソウルでのデモに加わった後、故郷に戻ってアウネ市場での大規模な集会を率い、逮捕されて1920年にソウルの西大門刑務所で十代のうちに亡くなりました。 獄中でも抗議をやめなかった姿から、韓国では独立運動を象徴する人物の一人とされ、「韓国のジャンヌ・ダルク」と呼ばれることもあります。 この記事では、日本の植民地統治下にあった当時の朝鮮の状況とあわせて、事実を中心に彼女の生涯をたどります。

時代背景:1919年の朝鮮半島

1910年、日本は大韓帝国を併合し、朝鮮半島を植民地として統治しました。 第一次世界大戦後、アメリカのウィルソン大統領が唱えた「民族自決」の考え方は、各地の植民地の人々に希望を与えました。さらに1919年1月21日、元皇帝の高宗が亡くなります。公式には自然死とされましたが、毒殺を疑う人も多く、人々の不満が高まりました。

1919年3月1日、宗教界などの代表33人が署名した独立宣言書が発表され、ソウルから始まった抗議行動は半島全体と海外の朝鮮人社会へ広がりました。これが三・一独立運動で、多くは非暴力のデモでした。

天安近郊に生まれた少女

柳寛順は1902年12月16日、忠清南道の天安近郊で、三人きょうだいの二番目として生まれました。 祖父や叔父の影響でプロテスタントの家庭に育ち、その縁でソウルの梨花学堂(現在の梨花女子大学)に進みます。卒業後に教師として働くことが条件の奨学生でした。 1919年には、教師の勧めで学生の文学会に加わっています。

ソウルでのデモと休校

運動が始まると、学生たちは積極的に参加しました。1919年3月5日、柳寛順はソウルの南大門までデモ行進をして警察に拘束されましたが、学校の宣教師たちの働きかけで釈放されました。

3月10日、総督府は学校の休校を命じます。柳寛順は3月13日にソウルを離れ、故郷の芝霊里に戻りました。

1919年4月1日、アウネ市場

農村では市の立つ日が人の集まる場でした。1919年4月1日(旧暦3月1日)、アウネ市場に約3,000人が集まり、独立を訴えました。 午後1時ごろまでに憲兵が発砲し、19人が亡くなりました。その中には柳寛順の両親も含まれており、彼女自身も逮捕されました。

取り調べでは、自白して協力すれば刑を軽くすると持ちかけられましたが、彼女はそれを拒み、厳しい扱いを受けても沈黙を守ったと伝えられています。

裁判と獄中での抗議

1919年5月9日、保安法違反などで懲役5年の判決を受け、6月30日の京城の控訴審で懲役3年となりました。 収監先は西大門刑務所です。1920年4月には、王族の婚礼に伴う減刑で刑期が1年6か月に短縮されました。

それでも彼女は抗議をやめませんでした。運動から1年後の1920年3月1日、同じ獄中の仲間と刑務所内での抗議を計画し、その後、拷問を受けて独房に隔離されたとされます。

獄中での死とその後

柳寛順は1920年9月28日に獄中で亡くなりました。年齢は数え方によって17歳とも18歳ともされます。 当局は当初遺体の引き渡しを拒みましたが、梨花学堂のアメリカ人宣教師の校長たちが強く求め、10月14日にソウルの貞洞教会でひっそりと葬儀が行われました。 梨泰院の共同墓地に埋葬されたものの、その後その土地に日本の軍の施設が建てられた際に墓が失われ、天安にある墓は現在空墓になっています。

三・一運動は何を残したか

三・一運動は独立を実現せず、外国政府の公式な支持も得られませんでした。犠牲者数には大きな幅があり、日本側の当局は4月中旬までの死者を553人と報告した一方、朝鮮の歴史家・朴殷植は7,500人以上と推計し、現代のデータベースはその中間の数字を示しています。 それでも運動は独立運動を活気づけ、亡命政府である大韓民国臨時政府の樹立につながり、総督府はいわゆる「文化政治」へと方針を変えました。 現在、3月1日は韓国の祝日です。

韓国での記憶

韓国政府は1962年に建国勲章を追贈しました。1972年には天安に彼女をまつる祠堂が建てられています。2018年にはニューヨーク・タイムズが、当時報じなかった人物を取り上げる追悼記事シリーズ「Overlooked」で彼女を紹介しました。 名字はハングルで「유」とも「류」とも書かれます。

歴史を学ぶときの視点

柳寛順の物語は、韓国では学校で必ず学ぶ身近な歴史です。一方で、亡くなった年齢、獄中での扱い、運動全体の犠牲者数などについては、資料によって数字や記述が異なる部分もあります。 歴史を読むときは、「〜とされる」「〜と伝えられる」といった表現に注意して、確かな記録と後から語られた話を区別することが大切です。日本語の文章でも、こうした言い回しは事実と伝承を分ける大事な目印になります。

彼女の物語が多くの人の心に残るのは、十代の学生が自分の声には意味があると信じ、行動したからでしょう。立場の違う読者にとっても、一人の若者の生き方として向き合える題材です。

柳寛順で学ぶ日本語表現

表現 意味 例文
〜に参加する 活動や行事に加わる 彼女は三・一運動に参加した。
声を上げる 意見や抗議をはっきり表す 若い学生たちが声を上げた。
信念を貫く 考えを最後まで変えない 彼女は獄中でも信念を貫いた。
判決を受ける 裁判で刑を言い渡される 懲役3年の判決を受けた。
語り継ぐ 次の世代に伝えていく その物語は今も語り継がれている。

韓国語のことばも少し:독립(トンニプ・独立)、만세(マンセ・万歳)、학생(ハクセン・学生)。

練習:「声を上げる」と「語り継ぐ」を使って、あなたが知っている歴史上の人物について二文書いてみましょう。

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