尹東柱とはどんな詩人?京都で学び福岡で亡くなった『空と風と星と詩』の作者

尹東柱とはどんな詩人?京都で学び福岡で亡くなった『空と風と星と詩』の作者

尹東柱(1917–1945)は日本統治期の朝鮮の詩人。立教大学・同志社大学で学び、27歳で福岡刑務所で亡くなりました。詩集は死後に出版されました。

尹東柱(ユン・ドンジュ、1917–1945)は、朝鮮が日本の統治下にあった時代に詩を書いた朝鮮の詩人で、27歳のとき福岡の刑務所で亡くなりました。 生前にはほとんど作品を発表しておらず、死後3年たってから詩集『空と風と星と詩』が刊行されました。今では韓国語で書かれた詩のなかでも特に愛される詩人の一人です。 東京の立教大学と京都の同志社大学で学んだことから、日本とも縁の深い人物です。

時代背景

日本は1910年に朝鮮を併合し、1945年まで統治しました。この時期、国境を越えた中国東北部(満洲)にも多くの朝鮮人が暮らし、独自の村や教会、学校をもっていました。1930年代後半から40年代初めには、日本式の氏名への変更が進められ、朝鮮語の使用も制限されていきました。尹東柱の短い生涯は、すべてこの時代のなかにあります。

明東村での少年時代

尹東柱は1917年12月30日、当時の中華民国・吉林省の龍井近くにある明東村で生まれました。 尹永錫と金龍の四人の子の長男で、幼名は海煥でした。 明東村はキリスト教の共同体としての色合いが濃く、祖父は長老派教会の長老でした。 同じ村に生まれたいとこの宋夢奎は、生涯にわたる親友であり学友でした。

龍井、平壌、ソウル、そして東京と京都

龍井の恩真中学校で学んだあと、1936年に平壌の崇実中学校へ移りましたが、学校がその年に閉鎖されたため故郷に戻りました。 その後ソウルの延禧専門学校(現在の延世大学校)で学び、1941年12月27日に卒業しました。

1942年に日本へ渡り、立教大学の英文科に入学したのち、京都の同志社大学に移りました。 日本では「平沼」という姓を使っています。 韓国語版ウィキペディアによると、家族が1941年末にこの姓を届け出たのは留学に必要な書類を整えるためで、本人の意思ではなかったという見方が有力です。詩「懺悔録」は、その5日後に書かれたとされています。

崇実中学校の閉鎖

尹東柱が平壌で学んだ崇実中学校の閉鎖には、はっきりした理由がありました。1935年12月、崇実学校の生徒たちが神社への「灯火参拝」を拒む事件が起き、1936年1月18日には校長のジョージ・S・マッキューンも最後まで神社参拝を拒みました。 マッキューン校長は1月20日に罷免され、学校は無期限の休校を経て閉校になりました。

延禧専門学校の日々と初めての原稿料

尹東柱は1938年4月、ソウルの延禧専門学校に入学しました。 2年生だった1939年には、『朝鮮日報』の学生欄に散文と詩を発表し、同じ年に雑誌『少年』に載せた詩で初めて原稿料を受け取っています。 いちばん好きな詩人は鄭芝溶でした。 1940年、学生への監視が厳しくなると、後輩の鄭炳昱とともに寄宿舎を出て、北阿峴洞や楼上洞などで下宿生活を送りました。

出せなかった詩集と、守られた原稿

1941年の卒業のころ、尹東柱は19編の詩を選んで詩集『空と風と星と詩』を出そうとしましたが、周囲が当局の検閲や弾圧を心配して止めたため、実現しませんでした。 原稿は後輩の鄭炳昱に託され、学徒兵として召集された鄭炳昱はそれを母に預けました。母は甕に入れて保管したと伝えられています。

逮捕と福岡刑務所

1943年7月14日、帰郷を前にした尹東柱は京都で治安維持法違反の容疑で逮捕されました。 1944年3月31日、京都地方裁判所で懲役2年の判決を受け、福岡刑務所に移されました。宋夢奎も同じ罪名で懲役2年を言い渡されています。

はっきりしない死因

尹東柱は1945年2月16日、福岡刑務所で亡くなりました。残した詩は100編を超えます。 英語版ウィキペディアは死因を「不確か」とし、刑務所で塩水の注射や医学的な実験があったという証言に基づく説を紹介しています。 韓国語版も、正体のわからない注射を定期的に受けていたという主張を紹介していますが、確定した事実ではなく一つの見解として扱っています。

故郷への帰還と勲章

尹東柱の遺体は火葬されて家族に引き渡されました。父の尹永錫と父のいとこにあたる尹永春が、遺体を引き取るために日本へ渡っています。 1945年3月に葬儀が営まれ、遺骨は吉林省の龍井に葬られました。 宋夢奎も逮捕されたあと、不審な死を遂げました。 1962年に叙勲の申請がありましたが、遺族はこれを辞退しました。1990年8月15日、尹東柱には建国勲章独立章が追贈されています。 1992年には母校の龍井中学校に詩碑が建てられ、2005年には同志社大学に鄭芝溶の詩碑も加わりました。 ソウル鍾路区の清雲洞では、鍾路文化財団が尹東柱文学館を運営しています。

詩集の刊行と記憶

1948年1月、正音社が31編の詩を、詩人・鄭芝溶の序文とともに『空と風と星と詩』として刊行しました。 1976年の第3版では遺族が作品を加え、116編になりました。 代表作には「序詩」「星を数える夜」「たやすく書かれた詩」などがあります。

1995年には同志社大学に、自筆の「序詩」と日本語訳を刻んだ詩碑が建てられました。 2016年には宋夢奎との日々を描いた映画『東柱』(英題 Dongju: The Portrait of a Poet)も公開されています。

尹東柱で学ぶ日本語表現

表現 意味 例文
星を数える 夜空の星を一つずつ見る 彼は夜に星を数えるのが好きだった。
恥じることのない 自分にうしろめたさがない 恥じることのない生き方をしたい。
原稿を託す 大事な原稿を人に預ける 彼は後輩に原稿を託した。
死後に出版される 作者が亡くなってから本になる 詩集は死後に出版された。
心に響く 深く感動させる 短い詩が心に響く。

練習: 今夜の空、または星空の写真を見て、見えるものと気持ちを日本語で三文書いてみましょう。「数える」と「心に響く」を使ってください。

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